2011年05月25日

「CBT的アプローチのセッション運営」のAGS掲載は不適切と考えます

 岡和田晃氏主宰のAnalog Game Studiesに掲載された「CBT的アプローチのセッション運営(第1.5回)」を拝読いたしました。

 上記では、伏見健二氏が提唱する「認知行動療法を援用したTRPGセッション運営」に関する論考の連載企画について、著者と編集者の見解と方針が記載され、これをもって当該論考の第1回への対論・応答を締めくくるとされています。

 しかし、今回掲載の見解・方針を拝読しまして、当該論考については現状での連載続行はすべきではなく、

・医師もしくは臨床心理士等、適切な資格保持者による実名での監修があること
・連載ではなく一挙掲載とすること


 が必要であり、それが満たされない限り非公開としておくべきであると考えました。そこで、意見をAGSにお送りし、またこのように公開しております。

 以下は当方がそう考える理由です。

●病者への関わり方の論が未だ実験的なものである場合、広く一般に公開して論じるべきではない。また、限定した場所で、もしくは十分に注意して公開する場合であっても、社会的責任を取りうる形での有資格者の氏名の公表は必須である

●病者への関わり方について新たな論を一般公開する場合、論は既にある程度完成されたものでなければならない

●病者への関わりを論ずる場合、最重要視されるべきは論の新規性ではなく安全性である

●有資格者の支持を新規な論の公表の根拠とする場合、支持者の氏名・職位の公表は必須である

 現状のAGSにおける伏見論考の連載やその方針において、以上の要件はいずれも満たされていません。
 よって、連載は取り下げるべきであると考えております。

 伏見論考のような、精神保健に積極的に関わる言説は、精神科医や臨床心理士等の、適切な資格を有し、必要な知識・技能・態度の保持が担保されている方が、実名を公表し、社会的責任を負う形で監修をして初めて広く一般に公開しうるものです。
 当方は、AGSで公開された言説がもとで何らかの事故が生じ、病者や関係者の心身を損なうこと、そしてそれがためにTRPGの評価が低下することを恐れるものです。いたずらにAGSやそこに掲載された論考を攻撃しようとするものではありません。適切な資格を有する方の適切な監修のもとに当該論考が公開されるのであれば、当方からはこれ以上申し上げることはありません。


以下は理由詳細となります。
posted by たきのはら at 14:15| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月28日

AGS 記事「CBT的アプローチのセッション運営」は取り下げられるべきであると考えます

 岡和田晃氏の主催するAnalog Game Studiesにこの度掲載された、伏見健二氏による論考「CBT的アプローチのセッション運営」は、精神医療や児童教育に関して著しい誤解を生じさせ、病者との関わりをあらゆる関係者にとって危険なものとしかねません。よって、表題の論考は早急に取り下げられ、掲載には不適切な内容を含んでいた旨をAGS側から言明されるべきものと考えます。理由は次に述べるとおりです。


・医療類似行為を一般に応用可能であるかのように紹介してはならない

・病者との関わりにおいて、専門知識を有しない場合に有用なのは、基礎知識ではなく受容の態度であるが、知識の重要性ばかりが説かれている

・病者との関わりに言及する文章に、誤読の余地を許容してはならないが、表題の論は誤読の余地が多々ある

・病名や疾患メカニズム、および対応技術の安易な記載は、不適切な診断的行為、医療類似行為を招きうる

・相手をコントロールしようとする態度への警戒を含まずに知識や技術のみが記載されている。あまつさえそのような態度を取ることを示唆するような構成になっている

・最終段落は「系統的な訓練を受けなくても“上手いゲーマー”となることで病者に有益な環境を提供できる可能性があるからそうしろ」と読める

 

 なお、この件についての反論などに関しましては、私信等でなく、AGSサイト内等、公開の場所での正式な形でお願いいたします。

 私は現在、D&D関連テキストの翻訳者としてゲームに関わっておりますが、一方で大学に勤務し、薬学系研究者・教育者として医療および教育に携わってもおります。臨床の医療チームや店頭の薬剤師の先生方と情報交換しつつ学生を教えている立場として、表題の論は公開するにはあまりに乱暴で危険なものであると判断しております。

 以下はそれぞれの“理由”に関する説明です。お時間とご興味のある方はお読みいただければ幸いです。

追記:

 2011年5月1日、AGSに表題の論考への対論として、医師である早瀬以蔵氏による「私がTRPGをセラピーとして使わない理由」が掲載されました。よって、本反論文末尾の当方の文言の一部は取り消させていただきます。
 ただし、ことが人の心身に関わるものである以上、他者の論を援用するのでなく、AGS主宰自身の言葉で今回の一件へのお考えを伺いたく存じます。

取り下げるべきと考える理由について
posted by たきのはら at 17:11| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月04日

記録と表現のルール(まとめ)

 というわけで、写真関係を中心とするあれこれ(たまに脱線してるけど、まぁ、それはご愛嬌ということで)をまとめてみました。

 あ、結局、発端となった事件については……私個人に関して言えば、基本的に楽屋を出た時点で肖像権は放棄してる(か、主催者に預けてる)ので(いや、そうじゃない方も大勢いらっしゃいますよ?)権利問題は言い出せない。

 てなわけで、舞台写真の私的撮影がNGな理由として、今回、私が主張できるのは

・上演中は私的撮影はNG、とアナウンスしたのに無視された
・やはりファインダー越しでなく見てほしかった
・一般座席でカメラを構えたりフラッシュを焚いたりするのは周囲のお客様にも出演者にも迷惑

 ということで、マナーがらみでNG、ってことでよかったようです。
 まぁ、こっちでNGっつったらNGなんだから、「劇場のルール」とも言えそうだけど……
 あー、やっと最初に戻ってきた。
 そして正しい対応ができててよかった><
 
*****☆*****☆*****☆*****☆*****☆*****

そして、調べたことをざっとまとめると、

そのI

・人はそっとしておいてもらう権利がある
・人は不愉快な思いをしない権利がある
・それを撮影者は侵害してはならない
・侵害したら不法行為だからね
・これはルールでもあるので、
 せめてルールはきちんと知って、守ってね

そのII

・権利侵害をしないためにはどうすればいいか
 ……撮影、公表の許可をきちんと取りましょう。
・最近は技術の進歩で世界のありようが変わってきました、
 なあなあでは済まなくなりつつあります。

そのIII

・実際に写真を撮るときの心得
 ……誰もがイヤな思いをしない表現を。
 これは許可を得るときにもいえるし、
 もっと言えば他の表現を行なうときにもいえるんだと思います。

そのIV

・ちょっと脱線。プレイレポートや録音について

そのV

・著作権は撮影者に属する権利。写ってしまった人の権利ではありません。
・そらそうと、著作者は、著作行為を行なうに当たり、
 自分の著作物が他の人の各種人格権を侵害しないようにしなきゃなのです

という感じ。

 結局、

・権利は法で守られるべきものとして存在する
・写される人の権利が第一である
・権利放棄は黙示でもできるが、許可の有無で揉めないように、コミュニケーションはきっちり取ること
・コミュニケーションを取る際には高いモラル意識と、なぜこの写真を撮るのかという目的意識を強く持つこと


てな感じになるのかしらん。
そしてこれは、その他の表現すべてにおいていえることだな、と。

そして最後にいえること――自戒もこめて。

かかわった人にとって、いろんな意味で「プラス」になる表現を!!

*****☆*****☆*****☆*****☆*****☆*****

そして、くりかえしになりますが……

ご留意いただきたいこと。

・上記のテキストには法律関係のことについて述べた文章が混ざっていますが、たきのはらは法律の専門家ではありません。文章中の法的な解釈は、すべてたきのはらが「こういうことなんだろうな」と独自解釈したものですので、決してそのまま丸呑みすることなく、何かありましたら、法律の専門家にまずはご相談下さい。

・本文中に法的に誤った解釈等、指摘すべき点がありましたら、その旨、takinohara@gmail.comまでご連絡いただけると、大変ありがたく思います。

もうひとつ:

本稿へのリンク等はご自由になさってくださって構いません。ただ、できれば、この「まとめ」のページにリンクしていただけると助かりますm(_ _)m
どうぞよろしくお願いいたします……

*****☆*****☆*****☆*****☆*****☆*****

参考文献。

上記の文章を書くに当たって、以下の書籍を参考にいたしました。

1)著作権法講座 教育・研究・創作者のための著作権読本/作花文雄 著/CRIC 社団法人著作権情報センター/平成15年
2)プライバシー権・肖像権の法律実務/佃 克彦 著/弘文堂/平成18年
3)判例六法 平成20年度版/有斐閣
4)スナップ写真のルールとマナー/日本写真家協会編/朝日新書/平成20年(第4刷)
posted by たきのはら at 15:25| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

記録と表現のルール(V)

 やれやれ、すみません。
 レポート……とか言い出すとついアタマが堂々巡りに><
 というわけで本題に戻ります(^^;;;)

○著作権・著作隣接権:

 そしてとても誤解されやすい権利。
 著作権は、写真を撮った人、文章を書いた人、ともかく「著作者」を守るためのものです。写真の著作権、といえば、写真を撮影した人の権利です。写真に写っている人の権利ではありません。

 また、著作隣接権というのは、著作権の一部で、実演(演奏、歌唱、上演、舞踏など)・レコード(録音媒体に固定されている音の総体。実演を固定したもの)・放送及び有線放送(放送・有線放送される音または映像の送信信号)の各種について、「それそのものは著作物ではなく、関わっている人たちも著作者ではない場合もある。しかし、『著作物を世の中に伝達するために演奏・歌唱等を行なう実演家や、商品として完成させるレコード製作者、広く世の中に拡布する放送事業者の存在が不可欠であり、また、これらの実演家等は著作物の伝達を担うだけではなく、その程度や内容はさまざまであるが、創作的な行為をも行なっているものと評価できる』*1として、著作物に非常に近いところで著作に近い活動を行う人やその活動そのものを保護するものです。

 音楽で言えば、自作を演奏するのであれば演奏者は著作権者であり、著作隣接権者でもあります。他に作詞者・作曲者がいるのであれば、詞の著作権は作詞者に、曲の著作権は作曲者に帰属し、演奏者が著作隣接権者となります。歌詞や曲は著作物ですが、実演されたものやそれを録音したものは著作隣接権によって保護されるものであって、著作物ではありません。
 なお、著作隣接権は、著作物ではないものに関する権利(規定されている報酬や使用料を貰う権利、自分の実演に際し氏名または芸名等を表示する権利・自己の名誉や声望を害するような実演の変更や切除を受けない権利等・実演の録音の権利・放送の権利、録音・録画されたものを公衆に提供する権利等)を保護するために存在するもので、著作者の権利に影響を及ぼすものではありません(*3「著作権法」より一部抜粋)。

 ……ああ、目が痛い。すみません><

 なんでこれが誤解されやすいのかというと、これも肖像権同様、人格権や財産権がらみの権利であること、his photoってのが“彼が撮った写真”なのか“彼が写ってる写真”なのかわかりづらいように、“写真に絡む権利”だというのでごっちゃになってること、あと、写真に写るという行為を表現行為と考え、著作権か著作隣接権が絡むんじゃないかと考えることから来てるみたいです

 が、著作権と『被写体となった人の権利』はまったく別のものです。

 関係するとすれば、著作者は著作権を有するが、それ以前の問題(というか、それより重大な問題)として、著作行為を行なうに当たり、他人の(肖像権をはじめとする)人格権を侵害してはならない、ということでしょうか。

 ……で、これって「関係」っていうのか?
 むしろ、著作者の義務と責任、っていう別の話のような。
 (なお、肖像権の侵害の有無とは別に、たとえば写真の著作権は撮った人に帰属します。でも、著作権があるからといって肖像権等の侵害が許されるわけじゃありません

 あ、あと、著作権ついでに
 フォトコンテスト等に応募するとき、応募作の著作権は○○に帰属します、というのは……たぶん、その写真を利用したり、その写真で利益を得たりする権利(財産権としての著作権)のほうであって、勝手にトリミングしたり加工したりする権利や、撮影者であることを主張する権利(こっちは著作者人格権になります)は譲渡することはできない……とありました*4。
 でもなんか解釈の違いでもめそうだよなあ、これ。

まとめに続く

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参考文献。

上記の文章を書くに当たって、以下の書籍を参考にいたしました。

1)著作権法講座 教育・研究・創作者のための著作権読本/作花文雄 著/CRIC 社団法人著作権情報センター/平成15年
2)プライバシー権・肖像権の法律実務/佃 克彦 著/弘文堂/平成18年
3)判例六法 平成20年度版/有斐閣
4)スナップ写真のルールとマナー/日本写真家協会編/朝日新書/平成20年(第4刷)
 
posted by たきのはら at 15:16| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

記録と表現のルール(IV)

 プライバシー権としての……というよりは、むしろ「人格権としての」って感じになってきましたが、とにかくその周囲の肖像権についてはとりあえず一段落。

 なので、その周囲の話、そして混乱しやすい権利について。

○書くことはいいこと? 拙いこと?:

 私は……ここんとこちょっとお休み中ですけど……ってか1年ぐらいお休みしてるけど……プレイレポート書きでもあったりするわけで。いや、書くから!! 書くんだから!! 落ち着いたら!! (←いつだよ)

 おいといて。
 ええ、この一章があるから日記サイトじゃなくこちらにこの文章載せたんですけれども……

 ところで、これまでこのプレイレポートって、……公表に当たって、当事者の“事前の許可”って取ってないんだよなあ。書いていくから違ったらコメントしてね、って明記はしてあるけど、「あれだけの量とスピードで書かれると、たとえ違っても言い出しにくい、あれは一種の暴力です」って言われたこともあり。
 とすると、これ、人格権の侵害にあたるのかも?

 人格権、と言ってしまうと言葉が堅いけれど、これは、不愉快な思いをしたまま泣き寝入りをする人を出さないことを目的に法規定が成されている……ことを考えると……

 唐突にレポートの話になりましたが、実は結構重要なことなのではないか、と思ったので、話を肖像権から少し離します。というのも、プライバシー権についていろいろ調べていくうちに、作家がとある人をモデルにして小説を書いた、そしてモデルとなった人が「そのことで、精神的苦痛をこうむった」と訴えた場合、作家側がことごとく負けてるという事例に気付きました。有名どころで言うと、三島由紀夫とか柳美里とか*2。

 で、プレイレポートもこれに準じるんじゃないか、と。 
 今まで散々レポート書きながら、一方で、「私のレポートはこれでいいのかしら?」と悩んでいたのですが、個人の人格権を守るための法の目的や運用を参考にして考えていくうちに、目安みたいなものが見えてきました。

 まずひとつ。
 レポートの公開は参加者全員の許可を得てから。また、PL名をレポート中に書くことについても、事前の承諾を得られない限り行なわないこと。

 その日そこにいたこと、そこでゲームしていたことを伏せたい事情があるひともいるかもしれません。
 ※実際、絶対に本名はNGとか、PC名だけで……とか、あるいは名前を出す場合は「いつ」「どこで」は伏せてほしいとか、様々なケースについて関わったり伺ったりしてるので、別に極端な話でもないと思います。

 名前を伏せてPC名だけ出すにしても、プレイスタイルで「あ、きっとあいつだ」ってわかっちゃうかもなので……とか言い出すとほんとに何も書けなくなりますが、そういうことだってあるかもしれません。最初は「名前出しOK」だったキャンペーンとかで、PC名とPL名が対応しちゃってる場合でも、途中から名前出しNGになることも考えられます。そういう場合は「諸般の事情につき今回のセッションに関してはレポートの不特定多数への公表はナシで」と当事者に主張してもらうしかありません。そして主張する機会を確保するためにも、「レポート書いて/アップしていい?」って尋ねることが大事になってくるんじゃないかと思います
 ともあれ、人には事情があるものなので、記録する際はそのあたりには十分に考慮すべきかと
 
 と、ここまではプライバシー権の範疇でしたが、「人は不愉快な思いをしない権利がある」ということをもうちょっとつっこんでみると、「どういう形でレポートを書けばいいか」ということについてもヒントが見えてきます。これは今まで自分が散々悩んできたことでもあるので(ひょっとしたらここに書くべき内容としては少し外れるかもしれませんが)ひとつの解釈として書きます。

  まぁ、ぶっちゃけて言ってしまうと、私がよくやってた“第三者視点・物語調”レポートを、当事者のチェックを入れずにガンガン書いていく、ってのは、よほど気心の知れた仲でもないと危険なのかもです逆に、気心が知れた仲であれば、レポートを書く時点で「どんなふうに書いて欲しい?」というようなやりとりを十分に行なうことも可能なので、そのような場合についてここで一般化することは、この文章の目的ではありません)。
 幸い今までトラブルはなかったけど、これは幸運な偶然。だって、物語調=神視点のレポートは、いわば欠席裁判。レポートに書かれた誰かが、「いや、自分はこんな風には行動しなかったんだけどな」「そういう意図で行動したんじゃなかったんだけどな」と思ってもうまくいえなかったり、周囲が「レポート来た!」って喜んでると言い出しにくかったりということだってあったかもしれない。

なので

・物語調レポートとか書くのは身内で遊んだ時など、事前に「どういうふうに書いて欲しいか訊ねる」等のコミュニケーションが十分に取れる(そして合意に達した)場合、もしくは“物語調”のレポートを書くことのコンセンサスが事前に取れている場合に限る

・それ以外の場合(主に、レポートの書き方に関する相談が十分に行なえない場合など)は、PL視点なりPC視点なり「これは書き手の主観が入ってます」てのがはっきりとわかる形で書く。他PCの行動意図や考えを勝手に“なりかわって”解釈した描写は避ける。――妥協案に過ぎないかもしれませんが、“神視点”で書き散らかすよりは、嫌な思いをする人は出にくいでしょう。

・レポートがアップされることの了解があらかじめ得られていないような場合は、レポートはまず参加者だけに見える形で書いて、全体公開は全員の了解が得られてから(了解がひとつでも欠ける場合は公開はしない)。

※“物語調”“神視点導入”などの書き方をやらない限りにおいて、セッション参加者のみに限定してレポートを公開するぶんには、他の人の許可を得る必要はない、自己判断のみで構わないと私は思っています。

 とかの点に気をつけるようにするといいのかなぁ。

 公開については、プライバシーに配慮する、という意味もありますが、こちらでは“神視点”だろうが“PC視点”だろうが、自分の納得していないレポートを公開されるのは不愉快と思う人もいるかもしれない、また、“公開できるように訂正してほしい”とレポート執筆者から他の参加者さんに要求するのは求めすぎかもしれない、ということで再度リストアップしました。公開しなければ、不愉快は最小限で済む……てのは甘い考えかもしれませんが。

 ただし、これはプライベート・セッションの場合で、参加者全員によるレポートの事前チェックが困難となる場合もあるコンベンションでこんなことを言っていては、レポートそのものが存在し得なくなります。そのような場合は――これはあくまでも一案ですが――「誰にも不愉快な思いをさせない、誰が読んでも楽しいと自信をもって言える」レポートをのみを(もちろん、レポートを書いたり公開したりする許可はあらかじめ得ておいた上で)書き、公開するのであれば可、ということになるかもしれません。
  
 ともかく、「書いてはいけない」のではなく、レポートを気持ちよく書き、気持ちよく読んでいただくためにはどうすればいいのか、ってことは考えなきゃいけないと思うのです。

 あ、レポートを書くことの是非については、これまでも必ず許可取ってきました。参加者は○○さん、てのも原則許可を得てからにしてたと思うんだけど……一時期どこに参加してもレポートを周囲から期待されてるとか自分で思い込んでたところもあって(書き方が“物語調”だったので、嫌がったり奇異に思ったりする人もいるかもしれない、という意識だけは何故かあって、レポート書きの許可は取っていた)そのあたりはいい加減になってたかも。うう、もし不愉快な思いをされた方がいらしたら申し訳ありません。今頃気付いても遅いかもしれませんが。……実は○○が嫌だったとかあったらメッセージ下さい。今からでも対処可能なところは対処します。

あと、レポート書く際の記録補助としてのセッション録音、これは

・周囲に目的を告げた上で録音の許可を得る
 (許可が得られなければその時点でNG)
・録音の開始と終了ははっきりと宣言する
 (許可が得られたからといっていつのまにか録音開始していたとかはNG)

という条件を満たした場合のみ可、だと私は思っているのですが……他につけるべき条件はあるかしら? 
 ま、録音したものをそのまま公表する人はいないだろうから(まぁ、許可する人もいないと思うけどな!!)この際の公表の許可……は、あ、レポートか。レポートの作成・公表の許可については前述のとおり、ということで。

 逆に考えると、写真みたいな、不特定多数と一瞬のかかわりもなく画像が手に入るものとは違って、セッションはある一定時間コミュニケーションを取り続けるものなのだから、その間に記録(まぁ、録音については最初に尋ねてNGだったらそのままNGだけど)、レポート作成・公表の許可が得られるだけの信頼関係が築ければ無問題って話でもあります。

 なんつか、ね。
 レポートって、オプションじゃないですか。
 私がオプションに手を出しさえしなければ何事もなかったものを、変にヤリ散らかしたばっかりに悲しい思いをしたり、トラブルに巻き込まれたりする人が出た、なんていったら、本当に不本意だし、辛いので……

 辛かったら最初っからレポートなんて書くな、って言われそうだけど、それでも書きたい。だから、辛くならないための方法を模索する、ルールを知っておく、というのが前向きな責任の取り方なんじゃないか、と今更思うのです。むしろ義務といったほうがいいのかもしれません。
 逆に、これを書いたり発表したりすることで嫌な思いをする人がいるかも、と不安に思うのならやっちゃいけない。自分でも確信の持てないことをやるのは無責任なことだったのだ、と。

 あ、いや、表現てのは静かな水面に敢えて石を投げ込む事、って考え方もありますが、「起こすつもりのない波、まるで意図しない波」は起こさない、ということについては、きちんと考慮しなきゃならんのじゃないでしょうか。
 それに、大波起こすつもりでセッションレポ書くとか、ないと思うしなー。
 
うげ、長くなった>< しかも大脱線した(汗
……V に続く!!

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参考文献。

上記の文章を書くに当たって、以下の書籍を参考にいたしました。

1)著作権法講座 教育・研究・創作者のための著作権読本/作花文雄 著/CRIC 社団法人著作権情報センター/平成15年
2)プライバシー権・肖像権の法律実務/佃 克彦 著/弘文堂/平成18年
3)判例六法 平成20年度版/有斐閣
4)スナップ写真のルールとマナー/日本写真家協会編/朝日新書/平成20年(第4刷)
posted by たきのはら at 15:13| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

記録と表現のルール(III)

 法律の話は一段落。
 いろいろと四角四面なことを書いたI、IIですが、これは「トラブルの起きるメカニズム」「トラブル解消のメカニズム」を概説したようなもんで、いわば基礎のお話。てなわけで臨床……じゃねえ、現場の話に。

○表現と撮影の実際:

 実際にプロ、セミプロとして写真を撮っている友人知人数名に「あなたがたならどうする? どうしてる?」という問い合わせをしてみました。お返事がいただけたものをまとめると……

Q.撮影の許可はどうやって得ていますか?
A.
・事前に「撮っていいですか?」と、許可を得る
・距離が遠い・雑踏の雰囲気を撮ることが目的・点景として写りこんでしまう場合等で許可の取りようがない場合は仕方がないが……
・そもそも旅行の記念写真等、人物を撮る目的ではなくシャッターを切る場合と、人物を撮ることを目的としてシャッターを切る場合は別と考えている。人物を撮ることを目的とする場合はあらかじめ許可を得るか、信用できる人にとりまとめを頼む


Q.公表の許可はどうやって得ていますか?
A.
・撮影と公表の許可は同時に得るようにしている
 (撮影の許可を得る際に、撮ったら何らかの形で使用することがわかるように説明する)
・作品集を持ち歩き、「このような形で作品にします」と説明する。

Q.その他、気をつけていることは?
A.

・人物の写っている写真はWebには公表しない
・被写体となる人、とりまとめをする人は信頼できる人にする
・写真嫌いとわかっている人には最初からカメラを向けない
 (カメラが身近に存在するだけで不愉快になる人もいるので)

複数の人の回答をまとめたり並べたりしてるので、ちょっとごちゃごちゃしていますが……

その他にも本から引く形になりますが

・写真になって衆目に曝されることが嬉しくない、不快であると思われるような構図では(例え撮る側にとっては面白い構図であっても)写真は撮らない。
・隠し撮りや拒否を無視して撮るのは言語道断
・不特定多数を撮るようなものを公表する際は、自分の連絡先を明記すること
・写真に写ることが不愉快だと思われないよう、誰が見ても「いいなあ」と思える写真を撮ること
・写真を撮る際に、人に不愉快な思いをさせないよう気をつけること

……等々*4。

 えーと、ひとことでまとめると、

・撮った人も写った人も「撮って/写ってよかった」と思えるように写真を撮る

 ってことに尽きてしまうのかなぁ。そしてそのためのガイドラインとして存在するのが法である、と。
 判例とかは「トラブルが起きてしまった後」の話になるので、どうしてもきつい話になりますし、「これこれこうだから写真撮っちゃダメなんだよ!!」って話になりますが。

 もちろん、報道写真とか、社会問題を切り取ろうと言う意図のある写真だと、そうも言っていられません。災害現場の写真なんかは、写真が存在すること自体が救助の怠慢と受け取られ、激しい抗議に曝されることもあるそうです*4。そういえば、まさにその問題で、ピュリッツァー賞を受賞しながら自殺してしまった写真家もいましたよね。

 土門拳さんの『筑豊のこどもたち』だって、とても暗い、辛い写真です。でも、土門さんはその写真を撮って公表することに意義があると思い、その信念でもって、それこそ自分の人生を掛けて筑豊入りし、住民の方たちと交流し、人間関係を築き、撮影を行なった。覗き趣味で撮ったわけではない。「よかった」とは言えないにしろ、「意義があった」「撮るべきだった」ということになっているから、あの写真集は存在が許されているのでしょう。

 でも。
 それでも、どんなに写真家に信念があっても、被写体がイヤだといえばNG、というのもまた事実。
 どんな被害が起きたかではなく、イヤだ、ってのは充分理由になるのです。

 あと、「顔が写ってなければいいや」……これはNG。
 体格等から個人がすぐに特定されてしまうとか、身体の一部でも、例えば被写体の人の自身のない部分であったとか、そんなふうに自分の身体を捉えられることがイヤだとか、その写真そのものが好きじゃなかったとか、イヤだと思う理由はいくらでもあるから……というメッセージもいただきました。

 うん。私だって足が短いのや、腹が出てるのをわざと強調するように撮られたり、ゆがんで見えるようなアングルで顔写真を撮られたりして無断で公開されたら(いや、打診が来たら即座に「いやそれ公表するの勘弁」って言う……だろーなー……あー、でも場合によりけりかー……ともかく、嬉しくはないよなー……)かなり不愉快(まぁ、てめえの責任だろと言われたらその通りですが)。
 法律的なところで言うと「容貌および姿態」に肖像権はかかることになってくるので、その上でもNGだったりします。

 あと、顔を隠したりした写真って「素敵な写真」にならないと自分は思うから、そういう写真は撮らない、っていう回答もいただきました。

 私が顔隠し写真を出すのは基本的に和装関連で、これは「どんな着物、どんな帯」てのをやっぱり紹介したいから。もちろん撮影・加工・公表の許可は得た上でですが……
 
 こうなるともうひとつ、「なぜ写真を撮るのか、公表するのか」ってことも考えて、それをきちんと説明した上で撮り、公表することが望ましい、ってことにもなるのかなぁ。
 少なくとも自分の中では意図が明確でないとね。


 
○撮影と記録の実際:

 転じて記録撮影。
 以前イベントスタッフをやっていたこともあって、このあたりについては私自身もう少し考えなければならなかったかなぁ、と。

 不特定多数の人が集まる場所である状況を記録したい、それには不特定多数の人が写りこんでしまう可能性が非常に大きかったり、そもそも不特定多数を写すことが目的だったり。

 このような場合は、いろいろな考えを持つ人を相手にするということ、そして被写体とのコミュニケーションがだいぶ減ってしまうことから、法的な観点からいろいろと手を打たざるを得ないんじゃないかと思います。
 あと、それがきちんとできてないと、主催者の信用度ががた落ちになったり、起きなくてもいいトラブルが起きたり。

 そすと、取りうる手段としては以下のようなものが考えられます。

1.最初から問題になるようなものは撮らない
2.撮っていい人、撮っちゃダメな人がそれぞれ抵抗なく意思表示できるようにして、撮っちゃダメな人は撮らない
3.明らかなプレススタッフを用意、プレスの立ち位置や撮った写真の公表範囲を周知して、写りたくない人は避けてもらう
4.参加者に最初から肖像権を放棄してもらう


 とか、そんな感じになるのかなあ。そしてこれらの立ち位置のいずれを取るのかをあらかじめ明確にして、フェアなやりかたをしていると認めていただくとか。
 ……自分がイベントスタッフやってたときは、この辺の認識が極めて甘く、大変に周囲に面倒をかけました。ごめんなさい。今頃謝っても多分遅いけど。

 ちなみに、最後のは極論でも暴論でもなんでもなく、実際の話です。アメリカの話ですが、スポーツの試合会場に中継が入る日のチケットは事前に「この日に入場したら肖像権ないよー」って明記されてるそうです*4。
 確かに、最近の高機能カメラをもってすれば、観客ははっきりと個人特定されるぐらいの解像度で写りこんでしまうし、それで肖像権を言い出されたら中継そのものが不可能になってしまう。さらに、アリーナで試合中に観客が絶対に写りこまないアングルでのみ撮って試合の中継を行なうとか、無理ですから。

……IV へ続く

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参考文献。

上記の文章を書くに当たって、以下の書籍を参考にいたしました。

1)著作権法講座 教育・研究・創作者のための著作権読本/作花文雄 著/CRIC 社団法人著作権情報センター/平成15年
2)プライバシー権・肖像権の法律実務/佃 克彦 著/弘文堂/平成18年
3)判例六法 平成20年度版/有斐閣
4)スナップ写真のルールとマナー/日本写真家協会編/朝日新書/平成20年(第4刷)
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記録と表現のルール(II)

 肖像権の定義についてはひとわたり書いたので、「じゃあどうしましょう」ってなことを。

○権利侵害をしてしまわないためには:

先に答えを書いちゃいますと、

・写真は許可を得て撮影すること
・事前に公表の条件を知らせたうえで公表の承認を得られた場合にのみ公表すること


 許可は別に口頭でも構いませんし、「黙示」という「結果的にそうなった」ってものもありますが……ともかく。
 理由や解説は以下の通り。ざっと4項目に大別できます。

1.権利の侵害は不法行為になります。パブリシティ権についてはお金が絡むのでまた別の話になりますが、プライバシー権については「不法行為の違法性は被害者の承諾によってキャンセルされる」ので、肖像権侵害の場合も被害者の承諾があれば、違法性はキャンセルされます*2。

 あ、えーと、被害者だの不法行為だの、言葉はとってもきついんですが、結果としてそういうことになるです。ひとつ覚えておかなきゃなのが、プライバシー権侵害というのは親告罪(当事者が「これはイヤです!」と言った時点で罪になるもの)だということ。だから、逆に被写体となった人が気にしなければ結果的には「何事もなかった」ってことになるんです。これが「潜在的に不法行為が存在しており、承諾があった時点で不法行為でなくなる」のか「トラブルがあった時点で遡って不法行為になる」のかはなんだか偉く諸説あるっぽいのですが、確実なことはひとつだけ。当事者(場合によっては当事者の保護者も)がOKっていったらOK、NGっていったらNG、なのでOKをちゃんと貰うこと

2.もうひとつ、大事なこと。肖像権は「撮影されない権利」「公表されない権利」の双方を内容とするため、承諾は「撮影」「公表」の両方に必要です*2。

 撮るのって公表前提なんじゃ……? って思ってることもあるかも。でも、撮ってその人が個人や家族で見ているぶんにはいいけど、不特定多数の目に触れるのはイヤ、ということは有り得ます。
 てか、デジカメと個人ブログがこんなに「ごく普通」じゃなかった頃って、写真って撮っても自分や家族、せいぜい周囲の友人知人が見るものでしたよね?
 公表、って、本来はデフォルトじゃなかったのです。

 あと、話は少しずれるのですが、公表にもいろいろあります。最も“公”表度が高いのは、実はブログやサイト等への掲載。誰でも見られる上に誰でもその写真をデータとして「持っていって」しまうことができます。加工とかだってできるし、下手すれば悪用も……

 また、フォトコンテストへの応募とか、紙焼きの作品として発表するとかといった公表のスタイルもあります。この場合、その画像を目にする人の数とかアクセス難易度とか、写真の再利用の可能性とかは、Web上にアップするものとは全く違ってきます。


3.承諾を(特に「公表」について)行なうにあたり、どのような条件下において公表されるかで承諾の可否が変更される可能性があるので、どのような形で公表するかは事前に提示し、承諾を得た条件下でのみ公表の違法性はキャンセルされます

 ……あ、そろそろ自分の日本語がおかしくなってきたので判例を借りよう。

 「肖像権を放棄し、自らの写真を公表することを承諾するか否かを判断する上で、当該写真の公表の目的、態様、時期等の当該企画の内容は、極めて重要な要素であり、人が自らの写真を公表することにつき承諾を与えるとしても、それは、その前提となった条件の下での公表を承諾したに過ぎないものというべきである」(東京地判2001(平成13)年9月5日)*2)

 これ、もともとは前に撮って公表のOKも貰ってた写真を、全然別の雑誌記事に(それもかなり侮辱的なものに)つけたんでうったえられたとかそういう事件のものです。
 ここまで極端ではないにしても、カップルでもないのに「カップル」ってキャプションをつけられて公開されたら困る、とか、そういうレベルから考えられるので、公開の形式はきちんと相手に伝えて了承を得ないとNGです*4。

そうして、写真の白黒が曖昧になる元凶みたいな最後の項目。

4.承諾の有無は当事者の意思解釈の問題であり、明示のみならず黙示(公表されるだろうということがあらかじめわかる場合に、特に公表を反対しないということで、結果的に承諾した形になるもの)のものもあってよいものなので、黙示の承諾の有無が問題になります。

 また、これまでは「『みだりに』撮影・公表してはならない」の「みだりに」の部分がいわゆるバッファーゾーンとして(つまり、「確かに正式な手続きを踏んではいないが、この程度なら不法行為にはならない――『みだり』ではない」とされる)働いてきましたが、近年は、プライバシー権に関する意識の向上や、肖像撮影や公表がデジタル化し、公表された際の閲覧や保存がとても簡便になってしまった等の理由により、肖像権侵害の判断は厳格になってきています。

 Ex.銀座の公道を歩く一般の人(原告)の写真を本人の承諾なく撮影してウェブサイトに掲載した行為に付き、「原告の容貌および姿態を捉えたものであることが容易に判明するような形」での掲載が相当性を欠くとして肖像権侵害の成立を認めた(東京地判2005(平成17)年9月27日*2)
 
○もし、侵害してしまったら……:

 不法行為である以上、「やらかした場合どうする」についても法的に定められています。こうなると、人間関係のトラブルどころの話ではすまなくなります。

・金銭賠償:肖像権を侵害する行為は不法行為を構成する。したがって、肖像権を侵害されたものは加害者に対し、不法行為に基づく損害賠償を請求できる(民法709・710条)。「損害」としては、精神的損害その他の無形損害のみならず財産的損害(肖像権が侵害されたことにより、何か金銭的な被害が発生した場合や、訴訟となった際の弁護士費用)も含まれる。

・回復処分:侵害行為に対し、侵害者に謝罪広告その他の回復処分を行わせる。

・事前差し止め:公表される前の事前公表差し止め(撮影のみ行なわれて、出版やアップロード等の公表がまだだった場合)
(以上、2より)

……IIIに続く

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参考文献。

上記の文章を書くに当たって、以下の書籍を参考にいたしました。

1)著作権法講座 教育・研究・創作者のための著作権読本/作花文雄 著/CRIC 社団法人著作権情報センター/平成15年
2)プライバシー権・肖像権の法律実務/佃 克彦 著/弘文堂/平成18年
3)判例六法 平成20年度版/有斐閣
4)スナップ写真のルールとマナー/日本写真家協会編/朝日新書/平成20年(第4刷)
posted by たきのはら at 15:01| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

記録と表現のルール(I)

 お久しぶりです。
 最近活動場所をmixiに移したら、すっかりこちらに出てこなくなっておりました。で、mixi外の友人から「いいかげん本家サイトにもレポートをちゃんと掲載するように」とクレームが来ちゃったりして。

 ともあれ、暫く引きこもっているうちにテキストもそこそこ増えましたし、ようやく遊ぶ余裕も出てきたし、こちらも立て直して……ということで。

 まずは、プレイレポートじゃないのですが、ちょっといろいろあってまとめてみたテキストを。

ちょっとご留意いただきたいこと

・以下のテキストには法律関係のことについて述べた文章が混ざっていますが、たきのはらは法律の専門家ではありません。文章中の法的な解釈は、すべてたきのはらが「こういうことなんだろうな」と独自解釈したものですので、決してそのまま丸呑みすることなく、何かありましたら、法律の専門家にまずはご相談下さい。

・本文中に法的に誤った解釈等、指摘すべき点がありましたら、その旨、takinohara@gmail.comまでご連絡いただけると、大変ありがたく思います。

・追記:
本文中の“*○”は参考文献の番号を示します。

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発端。

 先日、母の友人で写真を趣味にしている方から、「ちょっと昔のものだけど……」と、封書が送られてきました。
 開けてびっくり。3年前の私の発表会の舞台写真です。
 (当然、“客席からの舞台の写真撮影はお断り”してます)

 困った。すげえ困った。目上の方だし母の人間関係をこっちからぶっ壊すわけにもいかないし、カメラマンさん(いわゆる“発表会写真のプロ”の方)と写真家さん(師匠の舞台をずっと撮り続けている芸術写真家……で、ニュアンスわかるでしょうか?)の両方が入ってる舞台だから、「一眼レフ構えてバシバシ撮ってる人もいたのに、なんで私が撮るのはダメなの?」とか言われると説明が非常に面倒だ。うっかりすると角が立つしなあ。

 結局のところ、こんなふうに言いました。……母に><

・写真は嬉しいけれど、できればファインダー越しでなく見ていただきたかった。
・たまたま私は気付かなかったけれど、踊っているときに客席でフラッシュを焚かれると凄く怖いし、演技にも悪影響が出かねない。
・こちら側からは、他のお客様の鑑賞の迷惑となることから、写真撮影はやめていただくようアナウンスしているので、それには実のところ、従ってほしかった。
・写真家さんは確かに入っているけれども、他のお客様の鑑賞の迷惑にならないところに位置取りし、フラッシュも焚かずに撮っていただいている。

 たぶん、適宜説明して、以後、二度と劇場内ではカメラを引っ張り出さないように諭してくれるのではないかなぁ(母が)。発表会とかだと、この手の“完全に善意”の困った方が量産されるのでホントに困るのです。

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派生。

 で、どーやって説明すべーかなー、と、あれこれ調べてたわけです。結果的には、あまりこのケースに有効な説明がみつからず(そして実際にトラブルになりかねないことが起きちゃった後だと、法律だなんだと持ち出すと相手が善意なだけによけい根を深くしかねないので)、上記のような説明になったんですが……てーか、今回のはマナー&誰か(主に記録写真を撮ってる撮影会社さん)の権利、の問題っぽいんですよね。

 せっかく調べ始めたんだし、そういえば某書に触発されてカメラ楽しそうだなーとか思い始めたし(その前にビデオ買わなきゃだよ!! 稽古記録用に!!)、以前にDACのスタッフやってたとき、参加者の方たちの肖像権と記録写真についての立ち位置の整理は後にバトンタッチした状態で来ちゃってるから、せめて自分の中ではきちんと整理しておきたいし。

 というわけで、写真撮影に絡むあれこれについて――ぶっちゃけると、肖像権とか著作権とかルールとかマナーとかのあれこれについて――最後まで調べきってみました。
 いや、自分が調べきれるとこまで、が正しいか。なにしろいろいろと灰色だったり白だったり黒だったり、灰色が白になったり黒になったりする分野なので。

 すると、結構重要なこと、表現者として知っておかなければならないこと等々、多々出てきましたです。
 自分ひとりの知識にしておくのはもったいないので、日記にしてみる次第。え、自己満足? ……うみゅー><

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そして、本題。

○そもそも、肖像権とは:

 「肖像権」とは、法文上明定されているわけではありませんが、判例及び学説において、憲法あるいは民法・不法行為法に基づき法的に保護すべき権利として認められてきたものです。あ、ちなみにこれは、「人格権としての肖像権」のほう。

 憲法、てのは第13条の「すべて国民は、個人として尊重される」ってところ。「個人として尊重される以上、その承諾なしに、みだりにその容貌・姿態を撮影されない自由を有する」という解釈になるわけです*4。

 ここでちょっと厄介なのは「法文上明定されているわけではない」「判例及び学説において」というあたり。つまり、写真を撮ること自体がそのまま違法というわけではないんです。トラブルが起きたら憲法や民法、不法行為法に則って処断しますよ、ということ。そしてまぁ、トラブルが起きた時点で相当高い割合で「違法」ってなるんですけど。特に最近は。

ともかく肖像権の定義そのいち、人格権(プライバシー権)としての肖像権:一般の個人に対して適用されるもの

@みだりに撮影されない権利(撮影の拒絶)
A撮影された写真、作成された肖像を利用されない権利(公表の拒絶)

をいう*2。これに関する判例としては以下のようなものがあります。

 「通常人の感受性を基準として考える限り、人が濫りにその氏名を第三者に使用されたり、又その肖像を他人の目にさらされることは、その人に嫌悪、羞恥、不快等の精神的苦痛を与えるものということができる。したがって、人がかかる精神的苦痛を受けることなく生きることは、当然に保護を受けるべき生活上の利益であるといわなければならない。そして、この利益は、今日においては、単に倫理、道徳の領域において保護すれば足りる性質のものではなく、法の領域においてその保護が図られるまでに高められた人格的利益(それを氏名権、肖像権と称するか否かは別論として。)というべきである」(東京地裁昭和51年6月29日判決「マーク・レスター事件」より*1)

 「個人の私生活上の自由として、人は、みだりに自己の容貌ないし姿態を撮影され、これを公表されない人格的利益(いわゆる肖像権)を有し、これは、法的に保護される権利であり、これを侵害すれば、民事上不法行為が成立し、損害賠償の対象となると解される」(東京高判2003(平成16)年11月10日*2)

※「マーク・レスター」事件とは、英国の子役俳優マーク・レスターの出演映画「小さな目撃者」のワン・シーンをロッテ製品のコマーシャルに利用したものであり、日本の裁判例において、最初にパブリシティの権利の概念を明確に認めたものです(なお、ここでは、パブリシティ権に言及する前に人格権としての肖像権に言及している部分を引用しています)。

 つまり、このあたりのあれこれを要約すると、

・人はそっとしておいてもらう権利があり、それは憲法をはじめとする種々の法律でも保障されたものなので、その容貌や姿態を写真に写したり公表したりすることで、それを侵害してはならない。

ということになります。

○もうひとつの肖像権

 肖像権にはもうひとつあり、「財産権としての肖像権」「パブリシティー権」等と呼ばれます。お金が絡まない限り関係ないので、一般人にはほぼ関係してこない問題だと思っていたのですが、撮影された写真が商材として取り扱われる場合、金銭が絡んでくるので、こちらの肖像権についても問題が発生するようです*4。

 というわけで、肖像権の定義そのに、パブリシティ権としての肖像権:肖像の主体が芸能人やスポーツ選手など、その容貌や姿態が世に著名なものの肖像権について適用される。

 これらの者は、その肖像が報道等においてある程度利用されることはその性格上やむをえないことであり、肖像権のうち人格的な利益の確保(プライバシーの保護)の面では通常人の場合に比して、ある程度の制約があるものと考えられている。
 他方、これらのものの肖像には経済的名価値があり、その法的保護が必要となる。つまり、肖像の利用に対する本人の財産的利益を保護する権利であり、人格権というよりも財産権に分類されるべきものである。*1、2)
 これに関する判例としては以下のようなものがある。

 「俳優等は…人格的利益の保護が減縮される一方で、一般市井人がその氏名及び肖像について通常有していない利益を保持している」「俳優等の氏名は肖像を商品等の宣伝に利用することにより、俳優等の社会的評価、名声、印象等が、その商品等の宣伝、販売促進に望ましい効果を収め得る場合があるのであって、これを俳優等の側から見れが、俳優等は、自らかち得た名声のゆえに、自己の氏名や肖像を対価を得て第三者に専属的に利用させうる利益を有しているのである。ここでは、氏名や肖像が…人格的利益とは異質の、独立した経済的利益を有することになり(右利益は、当然に不法行為法によって保護されるべき利益である。)、俳優等は、その氏名や肖像の権限なき使用によって精神的苦痛を被らない場合でも、右経済的利益の侵害を理由として法的救済を受けられる場合が多い」(東京地裁昭和51年6月29日判決「マーク・レスター事件」*1)

 パブリシティ権は肖像に関する財産権ともいえるので、一般人であってもお金が絡めばこの種の問題が生じるのは先に述べたとおり。具体的には、撮影や写真使用の許可があらかじめあった場合でも、その写真を商用利用して金銭が発生した場合はちゃんとその旨対応しなきゃダメよってことです。

 逆に言えば、ブログに無断で写真を載せてトラブッちゃった、というような場合、問題になっているのは(通常は)プライバシー権としての肖像権についてであり、パブリシティ権についての肖像権に関しては問題にならない――というか、元から無関係です。ここで「“肖像権”と名前は同じでも、まったく性質の異なるものが存在する」ことへの理解がないと、問題の本質とは無関係なところで泥沼化しかねません>< 要注意そのいち、です。

余談:学説とか表記とか

 さっきから、人格権としての、とかプライバシー権としての、とか表記が揺れていますが、これについては私が素人調査をしたかぎり、「学説が一定してない」ってところのようです。えーと、人格権とプライバシー権は並列であるとかどちらかがどちらかを内包する、とか。

 とりあえず便利と見た目のため、以後は「プライバシー権としての肖像権」「パブリシティ権としての肖像権」で表記します。法学的根拠はゼロですが、きちんと調べようとすると3年経っても一行も書けないとかなりそうなので、とりあえず勝手に妥協してます。もし何かミスがあった場合はご指摘を願います……が、議論することはできませんので悪しからずご了承願います。いや、単に私の実力の限界なんだけど。

……IIに続く。


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参考文献。

上記の文章を書くに当たって、以下の書籍を参考にいたしました。

1)著作権法講座 教育・研究・創作者のための著作権読本/作花文雄 著/CRIC 社団法人著作権情報センター/平成15年
2)プライバシー権・肖像権の法律実務/佃 克彦 著/弘文堂/平成18年
3)判例六法 平成20年度版/有斐閣
4)スナップ写真のルールとマナー/日本写真家協会編/朝日新書/平成20年(第4刷)


posted by たきのはら at 14:56| Comment(0) | TrackBack(0) | その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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