2012年02月16日

coda――その3

 それからしばらく歩くと、また扉のあるところに出た。
 今度は簡素な木の扉。でも、扉の縁が赤黒く染まっている。
 ――思い出すまでもない、もう、覚えてる。ここは、あたしの仕事場だった。

 「そうか、みんなここで本にされてたんだな……お前に」
 バーレット姉さんが言った。わたしたちは養護室だと思ってたんだけどね、と、シルフィが言いづらそうに言った。体調が悪くなったらこの部屋で休むようにって言われる。でも、それで戻ってきた人は……そういえばいなかったかも。

 「このまま、行く? エストちゃんが嫌だったら、見なくても……」
 「もう思い出しちゃったもの。中に何があるかはわかってるから、もう怖くないよ」

 抱きとめてくれるシルフィの手をそっとどけて、戸を開けた。
 何度も見た光景が、また目に入ってきた。
 ソファーを並べた応接室。でも、その真ん中には血に染まった手術台。そこであたしは、何人ものひとを“製本”してきた。
 
 そうだった。
 ここは――閉じた世界、シェルターだった。ずっと戦争が続いて、ひどいことになって、外があまりに危険で荒れ果てて住めなくなってしまったから、まだ生き残っていた人間はシェルターに避難し、そこにまとまって住むようになった。外は死の世界、だけどここに逃げ込めたひとは幸せだった。食料もあったし、本も沢山あって娯楽には事欠かなかった。シェルターを管理しているお父様の趣味で、よくみんなで集まってお茶会をしていた。大勢の人が図書館のホールに集まって……でも、生きている人はいずれ必ず死ななきゃいけない。だから、病気になった人は、死なないうちに、本に……
 「やっぱり、おかしいよ。だって、みんな苦しそうな顔してたし……」
 シルフィからもバーレット姉さんからも返事はなかった。見ると、シルフィはそこのソファーにへたりこんでいて、その傍でバーレット姉さんが頭を抱えている。
 「あれ、どうしたの、ねえ……困ったな、気分でも悪い? あ、そうだ、痛み止め……」
 身体を切り抜くときに痛かったり苦しかったりしないようにって、確かいろいろ薬がしまってあったはず……

 そんなんじゃねえ、だいたいそんな妙な薬はいらん、と、バーレット姉さんが不機嫌に唸った瞬間、がたん、と音がして棚がずれ、壁が横にスライドした。
 手術室の隣は、かなり広い隠し倉庫になっていた。そしてそこには、切り抜いた後の身体の部品がきれいに整理され、名札を貼られ、保存液に浸けられて並んでいた。ああそうだ、あたしはこういう仕事もしてたんだった、とあたしは思い出した。
 「バーレット姉さん、これ見て、身体の部品だよ。本にしなかったぶん。そうだ、全部とっといたんだった。そうか、そしたらあたし、エリザベスをもとに戻して、本から出してあげられるかな。ねえ、どう思う、あれ、まだ気分悪いの?」
 「……なあエスト、落ち着け。ホントにもとの、ヒトの身体に戻せるのか? こんなぺらっぺらになっちまった奴を」
 バーレット姉さんはずかずかと倉庫に踏み込んでくると、呻いた。
 「よく考えろ。俺はこんな忌々しい技術のことは知らんからなんとも言えんが、やめといたほうがいい気がするぞ」
 「ええと……で、でもね、体が全部もとにくっついたら、意識の活動は普通に生きてた時と同じぐらいはっきりするよ。で、体だけど……ああ、ダメだ。ふくらまないや」
 「ふくらまないや、じゃねえよ。どうなるんだ」
 「体の部品が全部入った本になるだけ……かも……」
 「おい、そんなんで意識がはっきりしてみろ、地獄じゃねえか。やめとけ」
 「そうだね……でも、自分がやったことだけど、つくづく、ひどいな……って、あれ、シルフィが!!」
 ぐったりとソファーに横たわったシルフィが、目をみひらいたまま微かに痙攣している。
 「ヤバい、あのソファーから引き剥がせ!」

 ほっそりした身体を抱えるとき、シルフィが微かに「おとうさま」とつぶやいたのが聞こえた。なんの感情もない、音だけの呼び声。
 「どう……どうしたのシルフィ!」
 「ごめん……あの、思い出しちゃった。わたし、そのソファーで、お父様に、なんども……」
 ずるり、と力の抜けた体がずり落ちる。
 「うん。そこでシルフィは奴のなぐさみものになってた。そして俺はそれを見ていた……らしい」
 「お父様ね、わたしに、シルフィはかわいいね、ほんとにかわいいねって……でも、ああ、わたしひどいことされたけど、あのときわたし、生きてたのかなあ死んでたのかなあ、でも、お父様はいつだって……」

 ……お父様?
 そうだ。思い出した。お父様はあたしの傍にもいた。しかもあたしがここで、製本をしているときに。それも、女の子とか若い女の人を製本するときにだけ。

 ――そうだ、胸は忘れずにページに入れなさい。
 ――ああ、この子は背中も製本しておくれ。
 ――きれいな鎖骨だねえ、それもだ。
 ――めずらしいね、こんな綺麗な腸は見たことがない。捨てるんじゃないよ、2ページ使えば全部綴じられるだろう。
 ――おまえはまだまだだねえ。アレナは私の欲しいものは言わずともわかっていたが。
 ――けれど、おまえは色黒だし、いまひとつ可愛くないからねえ。いや、でもはしっこいから腕利きの職人にはなるだろうが。
 ――まあいい、こうやって付き添って注文をつければいいだけの話……

 「……ざけんじゃねえあの糞親父、変態の片棒担がせやがってッ」
 気がつくと、わめいていた。
 「思い出した思い出した、すっかり思い出したッ……ちくしょう、殺してやる、あの変態野郎ぶち殺してやるッ」
 「……いや、もう死んでんじゃねえかなあ、とりあえず」
 「だったら滅ぼす!!」
 「そうだねエストちゃん、それがいいと思う。わたしも……嫌だったもの」
 
 そうとなれば話は早かった。でも、先に進む前に、倉庫の中の“部品”を全部融かした。あたしの身体の中には血のかわりに強酸が流れているので――いやそもそも死人の身体だから何かが流れている方がおかしいし、そんなものが流れていてもびくともしないあたしの身体もおかしいのだけれど、ともかくあるものはあるので、自分の腕を一回切り落として流れ出る“血”できれいさっぱり融かし尽くした。このままにしておけばあの変態親父が何に使うかしれたものじゃない。それからさっきアレナ姉さんたちと殴り合った部屋から持ってきていたページをオヤツがわりに食べて、切った腕を繋いだ。あのページがどういう目的のもとに作られたのか考えると胸が痛んだけれど――というかそもそもあの本を作った下手人はあたしなのだけど、罪悪感を背負い込んだところでどうなるわけでもない。だから、せめてあたしの血肉にして、それであの糞親父を切り刻んでやる。ああ、それにしてもどうしてあたし、ずっと変態の手伝いなんかしてたんだろう。

 “お父様”がいつもいたという司書室までは、そこからすぐだった。
 見渡す限りの図書館なんてものがそもそも、あたしたちの気の迷いだったのかもしれない。

 司書室のドアをノックし、入る。
 そこに、“お父様”は、いた。上質のスーツに身を包んだ、紳士――に見える、何か。
 「おや、シルフィにバーレット、それにエストか」
 「ごほんを、持ってきました」
 「……ほう。とすると、アレナは失敗したんだな」
 お父様は立ち上がった。

 「ありがたいことにね。再教育とやらはされずに済んだよ」
 「お父様、わたし、本当はあんなこと嫌だったの。何も言わなかったけど嫌だったの。だからもうここから出ていく、わたしに触らないで」
 「むしろ死ねばいいんだ」

 「……おやおや、すっかりお行儀が悪くなったねえ」
 “お父様”は額に垂れた髪を掻き揚げ、悲しそうに笑う。その顔は、きっとあたしたちの知っていた誰かの……少女たちの顔の一部をあちこち切り接いだもの。色も大きさも違う左右の瞳がぐるりと回る。
 「生きたまま本にするのはいい考えだとおもったのだが、それでは不完全だ。それに、本にしたものに粘菌がつくと、せっかくの本が朽ちてしまう。だから何かよい手立てはないものかとお前たちを捜し物にやったのだが……“底”からいつまでたっても帰ってこないので、迷ってそのまま死んでしまったのではないかと心配していたのだよ。それどころか私の最高傑作のシルフィまでいなくなった。とても、寂しかったよ。だが、こうして帰ってきた。五体満足で、しかもバーレットとエストまで、再び死ぬことのない体になって。きっと“底”には粘菌が溜まっていたのだねえ……」
 気色の悪いおしゃべりだったが、少しだけ感謝した。きっとあの男の手にかかったに違いないシルフィには悪いけれど、あたしを殺して動く死体にしたのはこの男の手じゃなかったことに。あたしをこんな体にしたのは、あたしのお友達、一緒に暮らしていた人たち、あたしが本にしてしまったひとたちの眠る図書館だったことに。
 「だが、すっかりお行儀が悪くなってしまった。いけないよ。一度解体して、組み立直して、私の従順な娘にしなくてはねえ……」

 ふざけんじゃねえ、と怒鳴り返す前に、“お父様”の体がむくむくとふくれあがり、スーツがはじけ飛んだ。目の前にあるのは……人の身体というよりも、ひどく醜悪な物体だった。確かに頭があり首があり胴があって腕がある。だが、それはすべて、女性の身体の一部を切り接いで形作ったものなのだ。
 「お気に入りの子達はねえ、アレナやエストには任せなかったんだよ。本になどするものか。そのまま私の身体に縫い込んで、ずっと一緒にいられるように……さあ、お前たちもそうしてやろうねえ」

 周囲の本棚から、聞き覚えのあるばさばさと本の雪崩落ちる音がした。分厚い、古びた本の表紙がめくれ、目を向き牙をむき出した怪物の顔がページに浮かび上がる。
 「さあ、バラバラにしてあげようねえ」
 「格好つけすぎで隙だらけだ、やっちまえ!」
 “お父様”の手が上がった瞬間、バーレット姉さんの声が飛んだ。巨大なハサミと化したシルフィの腕が“お父様”の足を薙ぎ払う。バーレット姉さんの対戦車ライフルが火を吹く。シルフィを庇おうとしたあたしの膝下が切り飛ばされる。咄嗟にスカートの中のエリザベスをかばう。腕や足なんかいくらでもくれてやる。おまえらを引きちぎって喰えばその場で生えてくるんだから。“お父様”の手が動く。またバーレット姉さんの指示が飛ぶ。シルフィの目から炎がほとばしってそのあたりを焼き払い、一方でシルフィを庇ったあたしの肘から先がなくなる。
 「ほら、もうすっかりボロボロじゃないかエスト、ごめんなさいを言えば許してあげるよ」
 上半身だけで据え物みたいに床に座り込んだ“お父様”の唇が笑う形に動いて、そして“お父様”はあたしに向かって両手を広げる。両足をなくしたあたしは、肩で虫みたいに這って“お父様”の傍に近寄る。
 「ああエスト、ようやく私にすべてを任せる気になったね?」
 「……これだけ逆らったのに、まだあたしを受け入れてくれるんですか?」
 ずるずる、と、這い上がるようにして“お父様”に身体をあずける。“お父様”の腕があたしの身体を抱えようとしたとき、あたしの上腕を破って砕けた腕の骨が飛び出し、“お父様”の腕と胸を引き裂いた。血みどろになって転がる“お父様”を、銃弾が、そしてシルフィの刃がずたずたにする。

 “お父様”だったものが意味をなさないうめき声を上げるばかりの肉塊になって転がると、あたしは大急ぎでそのあたりに飛び散った本のページで身体をある程度再生し、手術室に取って返した。そして一番頑丈そうな刃物を持って戻ると、無言で“お父様”に何度も何度もたたきつけ、ミンチにした。言いたいことはいろいろあった。どうやってあたしにあんな仕事をやらせたのかとか、あたしを可愛くないといいながらなんで置いておいたのかとか――いや、聞くまでもない。予想はつく。たぶんあたしは生前、そんなにお上品な生き方はしてこなかったんだろう。で、みんながどっかに避難しなきゃいけなくなったときに、ここに迷い込んだんだろう。こいつがあたしを追い出さなかったのは、きっと誰もやりたがらない仕事をさせるためで……

 気づくと、足元には赤い粘っこいどろりとしたものが広がっていた。
 「もう、いいだろ、エスト。そういえばこんなものがあったが」
 バーレット姉さんが、写真を1枚こちらに寄越した。お茶会の写真。写ってるみんなが幸せそうに笑ってる写真。そこにはもちろん“お父様”もいて、そしてきっと……
 はっとして、写真を姉さんに突き返した。誰もやりたがらない仕事をやる代わりにお情けでお茶会に入れてもらって、それで喜んでる自分が写っていたら……そんなものを見たら、あたしはあたしを切り刻んでしまう。

 「さて、邪魔は片付けたし、こんなとこ、とっとと出て行こうよ」
 「うん……でも、お父様さえいなくなれば、ここ、そんなに嫌なとこじゃないよ? みんなで暮らしてた思い出もあるし……」
 シルフィが言ったが、あたしは首を横に振り続けた。ここには、いたくない。
 
 結局、やっぱり、出ていくことになった。最後に廊下に出て、図書館の様子を伺ってみた。静まり返っていた。本になったひとたちは、ぐっすり眠っているようだった。このまま、ずっと平和に眠って、そしておだやかに朽ちていってほしいと思った。
 司書室の反対側の扉を抜けると、そこはもう図書館のロビーだった。思い出してスカートの包みを解き、エリザベスを取り出した。表紙を開けると、エリザベスは起きていた。

 「あれ、エスト。どうしたの? みんなは?」
 「……はぐれちゃった。でも、バーレット姉さんとシルフィは一緒だよ」
 「そっか。……あれ、私なんでエストに抱っこされてるの?」
 「ええと、それは……」
 「まあいいや、あったかいから。じゃ、私もうちょっと寝るね」

 目を閉じたエリザベスを抱え直し、あたしたちは図書館の外に出た。
 そこは、かつてイギリスと呼ばれていた国の、廃墟と化した街。崩れた建物が点在し、あたしたち以外に動くものの姿はない。
 終わった世界の、終わった人類。終わりの最後に付け加えられた、コーダのようなあたしたち。
 でも、自由だ。そのうえ、一度死んだあたしたちは死からも時間からも自由なのだ。

 あたしたちは歩き始めた。
 まだ見ぬどこかへ向かって。
posted by たきのはら at 02:53| Comment(0) | TrackBack(0) | ネクロニカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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