2012年02月16日

coda――その1

 おなかがすいて、目が覚めた。
 目が覚めてから、自分が死んでいるのに気づいた。
 死んでいるのにおなかがすくなんて変だと思ったけど、そう思ってもやっぱり微妙に空腹だった。

 おなかすいたなあ、とつぶやいて目を開けると、そこは図書館だった。見渡す限りの螺旋状に本棚が並んでいて、本棚でできたすり鉢の一番底の赤絨毯の上にあたしは横たわっていた。静まり返った本棚の群のずっと上の方に柔らかな明かりが灯っていた。それを見ているうちに、突然酷い光景が見えた――いや、思い出した。真っ赤に染まった平たいベッド、違う、あれは手術台、その真ん中に、何だかわからない真っ赤な塊。それを、じっと見ている。そう、見ていたのだ。

 怖くなって、目を閉じた。真っ赤な手術台は瞼の裏にしばらく残って、それから見えなくなった。いやな夢を見たから寝直そうとして、やっぱりひもじくて起き上がった。――早く、起きればよかった。起きたら隣に大好きなシルフィが寝ているのに気づいたのだ。シルフィも死んでいたけど、とても可愛かった。眠っているのをいいことに思わずぎゅっと抱きしめたら、シルフィが目を開けた。

 エストはシルフィに恋心を抱いており、シルフィはエストを独占したいので、たぶん可愛いはずなんだけどかなり爛れた感じでいちゃこらしてると、その気配でバーレットが目を覚ます。


 「そこ。何やってるんだ」
 不機嫌きわまりない声が脇から聞こえた。バーレット姉さんだった。むしろ姐さんって感じだった。姉さんは身体を起こしてあたしたちを見ると心底あきれたようにため息をつき、
 「アレナはどうした。あと、俺たちはやらなきゃならないことがあったろうが」
 アレナ? ……誰だっけ。やらなきゃならないこと? ああ、そうだった。

 「「「ごほんを、とどけなくちゃ」」」

 あたしたちは異口同音に言って立ち上がった。でも、ごほん? ここは図書館だから本はいっぱいあるけれど、でも手に取る本はどれもみんな朽ち落ちてしまっていて本の用を為さない。それに、届けるって、どこに?

 「お父様のとこだ。……ああ、死んじゃってるから記憶が曖昧なんだな。お父様に呼ばれたのは俺だけだったか。『あの本を持ってきてくれ、このままでは手遅れになってしまう』って言われて、そしてその本を取りに行こうとして……そして……」

 くそ、覚えてねえぞ、とバーレット姉さんは顔をしかめた。

 「あとはアレナだな。どこに行ったんだろう」

 ……アレナ?

 「そうだよね。バーレットちゃんはいつもアレナちゃんと一緒にいたものね。でも、ここにはアレナちゃんはいないみたいだよ」

 シルフィが言った。それでようやく思い出した。あたしたち子どもはこの図書館で本を運んだり整理したりの手伝いをしていた。バーレット姉さんやアレナ姉さんはもう一人前に仕事ができたから、司書の制服を着て働いてた。アレナ姉さんはバーレット姉さんと仲良しで、そしてバーレット姉さんは眼鏡なんかかけたきっちりした見かけだけど結構大雑把なのに、アレナ姉さんはとてもきっちりした仕事をする人だった。あたしは大好きなシルフィと一緒に、アレナ姉さんとバーレット姉さんの2人組の後をくっついて歩いてお手伝いをしていた。いつも4人で一緒にいたのに、でも今、アレナ姉さんはどこにもいない……

 いろいろ話してたら思い出すかもしれない、と、さっき明かりを見てるときに見えた真っ赤な手術台のことも話そうとした瞬間、思い出した。
 あの台の真ん中にあった赤い塊は、司書服に包まれていた。

 結局何も言わずに、シルフィの手をぎゅっと握って、そして今は隣に誰もいないバーレット姉さんの後をついてゆるやかなスロープを登りだした。こうしていても仕方ない。記憶はバラバラで頼りにならない。でも、3人とも覚えている仕事がある。だったらそれをやらなくちゃ。ごほんを探して、お父様に届けなくちゃ。

 本棚の前の通路は緩やかな螺旋を描いていて、そして時々鉄の梯子が本棚の脇についていて、それを上れば螺旋をひと巻きぶん近道できるようになっている。見渡す限り続く本棚のすり鉢をそうやって縁の方へと上っていく。と、ふと、バーレット姉さんが足を止めた。

 「バーレットちゃん、どうしたの?」
 「……いや、思い出したんだよ。俺らがここで司書の仕事してたときのこととかさ。みんなが居て、おしゃべりの合間に仕事して、時にはみんなでお茶会してさ。そんでも話し足りないこととか、内緒話やなんかがある時は……ほら、さっき俺たちが寝てた”一番下”に行ってた。何しろあそこは静かだし誰も来ない。でもあの時は本は腐ってなんかいやしなかったから、俺たちずいぶん長いこと死んでたのかなあ。それとも……いや、ここらへんの本はまだ傷んでないのもあるな。ってことはやっぱり階層が下に行くほど湿気が溜まるってことか」

 懐かしそうに言いながら、姉さんは本棚の本の背表紙に指を走らせ……ふと1冊の上で手を止め、引き抜きかけ、そして手を止めた。
 「なあに、探してたごほん?」
 「待てエスト、これは……」
 姉さんが言ったときにはもうあたしは本を本棚から引き抜いていた。なめし革で装丁した本。表題には『エリザベス』とある。
 「え? ……何だろ」
 ぱたん、と本の真ん中を開いた。
 お腹が、あった。

 「え? ……これ……」
 それは、生きた人間の――おそらく若い女性の身体の一部を本の大きさに刳り抜き、薄くなめして本の見開きの1ページに仕立てたものだった。次のページは両胸だった。平たい本の1ページに収まっているにも関わらず、やわらかな膨らみが目の前にあるようだった。恐る恐る手を触れると、温もりさえ伝わってきそうな肌は柔らかく、しっとりと汗ばんでいた。次のページは内蔵だった。血の滴り落ちる直前で時が止まったかのように、きれいに渦巻く腸が本のページの中に艶めかしくつややかな赤に光っていた。
 「エストちゃん、エストちゃん、どうしたの……」
 シルフィの声が遠くなる。あたしは必死に思い出そうとした。切り取られた皮膚、薄く削がれなめされ本の1ページとして綴じられた身体。その本を装丁する革は、そう、その身体を覆っていた皮。あたしが見た手術台の真ん中の、何だかわからなくなった赤い塊は、ひょっとして……

 思い出した。

 「あたしが、やったの」
 え、と、バーレット姉さんとシルフィが同時にこちらを見る。
 「あたしがやったの。あたしがみんなのからだを薄く切って、なめして、綴じて切りそろえて、装丁して本にしたの。エリザベスもあたしが本にしたの……それがあたしの仕事だったの……」
 唇からこぼれる声が、自分のものじゃないみたいに聞こえた。そう、これがあたしの仕事だった。本を運んだり整理したりのお手伝いじゃなくて、あたしの本当の仕事は製本だった。手術台があたしの作業台だった。真ん中の何だかわからなくなった真っ赤な塊は……

 そこでとんでもないことに気づいた。
 あたしの覚えている”塊”は、司書服に包まれている。ひょっとして、まさか、アレナ姉さんも。

 そう口にしたとたん、頭の中のもやが一瞬消えた。
 そうだった。
 アレナ姉さんは、あたしの最初の仕事だった。
 手術台の上に横たわるアレナ姉さん。優しく笑っている。いやだと言って泣くあたしをなだめるように、困ったような声で、やり方は全部教えたから大丈夫よ、教えた通りにやれば大丈夫、それにこれはいいことなのよ、このままでは私はすっかりだめになってしまうけれど、エストに本にしてもらえればもう死ななくてよくなるの、ご本を読み終わっても消えたりしないでしょ、私は永遠の物語になるのよ……そんなふうに言う。いやだいやだ最後まで一緒にいてとあたしが泣くと、しかたないわね、ほら、といってあたしの手にそっと手を添え、輝くような満面の笑みを浮かべて……

 視界が真っ赤に染まる。
 気がつくとあたしはバーレット姉さんの足下にうずくまって泣いていた。あたしがやったの、アレナ姉さんもあたしが本にしたの、そう、声にもならない声で叫びながら泣いていた。シルフィが頭を撫でてくれていたけれど――ああ、こんなことをしていたあたしは、もうきれいなシルフィを抱きしめたりできない。ごめんねシルフィ。あたしの大事なお友達。
 
 対話判定に大失敗した結果、シルフィへの未練が恋心から友情へ。どうやら自分にドン引きした結果、らぶらぶどころじゃなくなったらしい。


 「……ああ、そうだったな。くそ、思い出しちまった」
 バーレット姉さんが吐き捨てるように言った。
 「バーレットちゃん、思い出したって……」
 「いや、何でもない、行くぞ」
 「……そういえば、わたしも思い出した」
 「何を」
 「……お茶会。それと、お父様のこと。……わたしの身体をみてくれたよ。悪いとこがないかどうか、大丈夫か、って……」
 「大丈夫じゃなくなったから、アレナは俺にあんなことを頼んだんだな」
 「あんなこと、って?」
 「“製本”だよ。エストが押し付けられた仕事だ」

 思わず顔を上げ、慌てて涙を拭いた。
 「アレナの身体は粘菌にやられかけてた。俺たちが死んでもこうやって動いてるのはいっぺん死んだ俺たちの体に粘菌が寄生してるせいだが……あれは生きてるもんの身体に入ると、まず自我を写し取りながら宿主を殺して、それから動く死体にするんだな。たぶんこの図書館はあの粘菌の胞子がうじゃうじゃしてるんだろう。で、アレナの身体はそれにやられてた。あんときは腕がもうすっかりしなびてたな。このままじゃあもうすぐ自分は死ぬから、その前に俺に自分を“製本”しろと、アレナはそう言った。
 真っ向、断ったが。……冗談じゃねえ」
 「わたしは大丈夫って言われたけどな。でも今は死んじゃってるから結局だめだったのかな」
 「……まあ、いい。エストも泣き止んだな。行くぞ」

 二人とも、まだ他に思い出したことがあるみたいだった。でもこんなとき聞いたって答えてくれるはずもない。あたしは手にしていた“エリザベス”を、棚に戻そうと持ち直し、そしてつい、何の気なしにもう一度、最初のページを開いた。
 苦悶に満ちた顔がこちらをじっと見ていた。その唇が動いた。
 「……私を、ここから、出して……」
 「え……」
 目が、ぎろりとあたしを見たかと思った瞬間、
 「私をここから出せ!!」
 悲鳴を上げて本を閉じた。そうだよ、切り刻まれて、本にされて、誰だって苦しいよ。あたりまえじゃないか。何が見えると思ってたんだあたしは。はずみで、あたしの手に張り付いていた本は名残惜しそうに手から落ち、床に転がった。あたしはそれを拾い上げた。抱えていくのは怖かったので、オーバースカートにくるんで腰のあたりに結びつけた。それからバーレット姉さんとシルフィの後を追った。

 
バーレットが言わなかったこと:アレナはバーレットに自分を本にしてくれと言ったあと、この図書館には私が作った本もたくさんあるのよ、と、得意げに言った。そして脇の本棚から1冊抜き出して「ほら、これはマリアよ。ねえ、きれいにできてるでしょ。この胸なんか自信作なの。マリアの胸は大きくてきれいだったから、ちゃんとそれを残さないとって頑張ったのよ。でもやっぱり私よりずっと大きい胸だから、本にしながら実はちょっぴり悔しかったけどね。それにほら、この顔……こんなふうに幸せに笑った顔にするの、苦労したのよ」と、にこにこ笑いながら語ったのである。バーレットは「……お前、狂ってるよ、冗談じゃない、断る」と、その場をさっさと立ち去っている。もちろんあまりに気色悪い記憶だったので、いちいち姉妹たちにはそれを明かさなかったのだ。

 シルフィが言わなかったこと:お父様は素敵な紳士だった。そしてお茶会の途中、シルフィを部屋に呼び、「服を脱ぎなさい」と言った。シルフィは何の疑いもなく服を脱ぎ、するとお父様はその身体を丹念に調べ、「よし、どこも悪いところはないね」と言った。おそらくお父様はお医者様かなにかでもあるのだろう。「今日もみてくださってありがとうございました」とシルフィは言い。服を着る。……と、お父様は急に顔を寄せ、こんなことを言った。「シルフィは本当に、可愛いねえ」


posted by たきのはら at 02:45| Comment(0) | TrackBack(0) | ネクロニカ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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