2010年05月17日

曙草東道行:第3幕『勿忘奏楽』目次

 というわけで今回は連載形式で、1日1エントリ程度の割でアップしてまいりました、和物D&Dキャンペーン『曙草東道行(さくらばなあずまのみちゆき)』第3幕『勿忘奏楽(わすれなのそうがく)』でした。

 山から里へと春をもたらすため、海沿いを旅する一行。
 化け物屋敷に咲き狂うという桜の噂、打ち捨てられた廃屋のはずの屋敷には人の気配。
 歪められた願い、かりそめの命と引き換えの願い。
 海際の洞窟の胎内深く潜むものとは……?

 例によってエントリ数が多いので、目次でございます。
 あと、ご意見ご感想等いただけましたら、大変嬉しいです。

前口上
その1
その2
その3
その4
その5
その6
その7
その8
その9
その10

 今回は目次の裏側に、その10で芙蓉が吟じた漢詩についてのあれこれも(書き手の特権的な感じで)薀蓄をつらつらと書き付けておりますので、お時間ご興味おありの方は見てってやってくださいませ(長いですが……)。あ、ネタばらしでもあるんで、“資料集”読むのは“その10”を読んだ後でお願いします。

 あと、本キャンペーンは東方プロジェクトの二次創作気味な感じになっておりますが、本稿の書き手は“東方”については存在ぐらいしか知りません。で、まぁ、そこの知識は入れずに見えたものを書くというスタンスも面白いかもー、とDMから許可をいただいたので、そのへん敢えて調べないまま(DMから貰った限りの情報で見えたものだけを)書いてます。東方ファンの方はそのあたり、どうぞお含み置きいただけると幸いです。


資料集
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第3幕『勿忘奏楽』その10


 ――ありがとうございました
 ぼう、と霞みながらもまだ形を保った三姉妹は、一行の前に深々と頭を垂れた。
 ――御箱様が壊れても私たちがまだ形を保っているのは、きっと麗が私たちのことを思うていてくれているからでしょう。けれどその思いの力が及ぶのも今しばらくのこと。もう私どもは消えねばなりませぬ
 ――私たちが過ちをおかす前に御箱様の力を断ってくださったこと、本当にありがたく思います。けれど、心残りは麗のこと
 ――あの娘は私達を本当の姉妹と思っておりましたでしょう。御箱様の力で自らの元に呼び返されたものだと。それが突然いなくなってしまっては、あの娘はどんなにか心を痛めましょう
 ――それに盲いて老いた女ひとり、この先どうやって生きてゆけましょう
 「それについては、案ずることはない、おれたちが引き受けた」
 今にも風に吹き散らされそうになる霞のような姿に、吉野があわてて大声を上げた。引き受けたといって、ではどうしたものかと小滝は一瞬苦い顔をするが、しかし娘たちは安心したように微笑み――面に隠されていない幼い顔は、あどけなく笑い――そうしてどんどんと薄れ始めた。

 「あ、待って。待ってください」
 あわてて芙蓉は人の姿になると、懐の宝玉をひと撫でした。と、その腕にはもう琵琶が抱えられている。その場に座り込んで琵琶を抱えなおすと、芙蓉は琵琶を弾じながら唐渡りの詩を吟じ始めた。

 玉戸(ぎょくこ)簾中(れんちゅう) 巻けども去らず
 擣衣(とうい)の砧上(ちんじょう) 払(はら)えども還(また)来たる
 此の時 相(あい)望めども 相(あい)聞こえず
 願はくは月華を逐(お)いて 流れて君を照らさん
 
 御簾を巻き取っても月光は巻き取れない 
 衣の上を払っても月光は払い落とせない
 今はこうして向き合っているけれども もう消息は知れなくなるから
 月の光と同じようにあなたを照らしていられたらよいのに

 春江花月夜――流れ行く川、散り行く花、去り行く人を止め得ぬさだめを嘆きつつ、それでも流れ行く時を思い、花の名残りを惜しみ、別れ行く人を思うと――いつしか筝が、鼓が、笛が、琵琶の音に和していた。

 斜月(しゃげつ)沈沈(ちんちん)として海霧(かいむ)に蔵(かく)れ
 碣石(けっせき)瀟湘(しょうしょう) 無限の路
 知らず 月に乗じて 幾人(いくにん)か帰る
 落月(らくげつ)情を搖(ゆる)がして 江樹(こうじゅ)に満つ

 最後の一音が響き終わると、その余韻の消えないうちに筝の糸がふつりと切れ、鼓は破れた。からりと落ちた笛は乾ききりひび割れていた。
 が、楽の音はまだ響いている。闇の中に細く差し込む月光のように清らかに。それは琵琶の残響に絡み、混じり、溶け込むようにして消えていった。名残りを惜しむように芙蓉がもう一度琵琶をかき鳴らすと、琵琶は今までとはまるで違った、深く澄んだ音色で鳴り響いた。芙蓉は琵琶にしがみつくようにして泣き出した。

 「泣く暇などなかろうよ、女君たちの心残りを解いてやらねばならぬではないか」
 小滝はそう言うと、鬼龍に言って砂地に穴を二つ掘らせる。
 「その三姉妹も……それに狗神殿も葬ってやるがよかろう。狗神とてもとはただの犬、邪悪な人間に飼われたばかりに化け物に仕立て上げられただけのこと」
 芙蓉はあわてて残ったもう片袖を切って三姉妹の名残りの古びた楽器を包み、吉野は錦の袱紗に箱の残骸と犬の牙を収めると、それぞれに砂地に葬った。

 「ぬしも尽きぬ恨みはあろうがの、抱えていてもなんの益もない。供養は充分にしてやろうから、捨てられぬ恨みを捨てて輪廻に戻り、達者に暮らせよ」
 狗神の葬られた砂地に語りかけるように小滝は言い、そうして静かに経文を唱え始めた。



 「けれどねえ、この話はどうやら続いてしまうのですよ」
 紳士は困ったような顔で言った。
 「え、御箱様は片付き、麗の女君は小滝坊が尼寺にでも紹介してめでたしめでたしではないのですか」
 「いやいや、それがとんでもないことに、この話はどうやらほんの序の口」

 一行が虹川の屋敷に戻ると、夜半の空に轟々と風が吹き荒れていたのだという。風は屋敷の築地を吹き倒さんばかり、そうして西行妖と化した桜は蕾のまま吹き散らされてゆく。屋敷の中からは姉を呼ぶ麗の怯えた声。芙蓉がとっさに屋敷の中に駆け込む。
 「ええ、狐殿はまた何を急いで。あわてて駆け寄ったところで言うべき口上もまだ思いつかないだろうに」
 ぼやきながら小滝は小滝でなにごとか呪言を呟くと、屋敷のどこかで三人の娘たちが奏でていたあの楽の音がかすかに響き始めた。もちろんそれは大天狗の術が紡いだ幻の音なのだが。そうしておいてあたりを見回し、小滝は顔をしかめた。――見知った顔がいる。
 「射命丸ではないか」

 築地の上に立っていたのは、これまた若い女の大天狗。これが椛の紋様の盾を携えた狼頭の天狗を従えて桜に向かい立ち羽団扇を打ち振ると、風がごうごうと巻き起こり、桜を吹き散らすという寸法。
 さあこれだけ散らしてしまえば、もうこの桜が満開になることもございますまいと満足そうにひとりごちるところに小滝坊が声をかける。するとその女天狗、しまった面倒な奴が来たとばかり、あからさまに顔をしかめましてね。「この桜は幽冥界の西行寺の手のものには渡すわけにはまいりませぬ、である以上散らすまで」と叫ぶように言ったといいますよ。

 「それでもあまりに派手なことを。里の者達を驚かせてどうする」
 呆れたように小滝坊が言いますと、射命丸と呼ばれた大天狗は口元を微かに引き歪め
 「ああ、小滝坊さまは何もご存じないのですね。西行寺の住まいなす白玉楼と天狗の間でいさかいがございました。奪ったこの世の春を返せと山の妖怪たちがこぞって白玉楼に押しかけ、いいや返せぬと幽冥界の者たちが突っぱね、かくなる上はと大天狗一党が先陣切って幽冥界に乗り込んだところにございます。天耳法眼がその先陣の大将軍。あの御方の近くに寄るとろくなことが起こりませぬので、私はこちらで仕事をしてございますが」
 「自慢げに言えることでもなかろう」

 そういう小滝の後ろで、すっかり置いて行かれた形になった吉野と鬼龍は呆れたように天狗たちのやりとりを眺めていたそうです。ややあって、小滝の残した音曲の影のおかげでどうやら怯える麗を説き伏せ落ち着けた芙蓉も出てきて。

 そこへね。
 そう言って紳士はにっと笑った。
 欄間の上に鬼火がともり、そこからちっぽけな猫又が。
 「猫又?」
 そう。これは天狐の使いで橙(チェン)という者。これが言うには、戦が大変なことになりました、妖獣が出て大天狗はひとり残らず散々に打ち凝らされてほうほうの態で逃げ帰って来ました、妖怪だけではらちがあきませぬ、人の、人間の腕利きの手を借りねば、と。

 ほら、ね、話はこれからでしょう。
 紳士はもう一度、人の悪い笑みを浮かべた。
 私はこれ以上は話しませんよ、知りませんのでね。この続きは先でお聞きなさい。もうお降りの駅じゃないですか。

 それは確かにそうだったので、私はあわてて荷物をまとめると開いた列車の扉からホームに飛び降りた。背後で戸が音を立てて締まり、去ってゆく列車を眺めながら、私はなにやら狐につままれたような気分でいた。紳士の最後の言葉がまだ耳の中に残っていた。

 ――そう、その妖獣はね、どんなものともつかない姿をしていたそうですよ。頭上に襲い来る黒雲のあちこちから手が出る足が出る尾が出る。それを見たあるものはあれは虎だといい、あるものは蛇だといい、あるものは狸だと言い張ったと。調子はずれの笛のような声で吼え叫ぶ、それはそれはおそろしいケダモノだったといいますよ……

このシーンの裏側。
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2010年05月16日

第3幕『勿忘奏楽』その9

 「では、次は“おんばこさま”とやらか」
 吉野の声に急かされるように一同、足元のおぼつかない中を奥へ奥へと進む。と、
 「ふむ、いかにも怪しげな」
 「陰の気が塊になってあふれ出して来おるわい、なんと忌まわしい」
 でこぼこの岩と砂の上に滑らかな石舞台が築かれていた。
 昔は海神を祭っていたものか、舞台の四隅には柱が立ち、注連縄をかけるようにもなっている。が、注連はとっくの昔に腐って落ちてしまい、名残りのわら屑がいくらか散るばかり。
 舞台の奥には祭壇のごときものが設えられ、その上に何やら載っている。そうして本来ならば聖域なのであろう石舞台からは、もはや耐え難いほどの瘴気、陰の気配がむんむんと立ち込めてくるのである。

 「あれか」
 「だろうな」
 吉野と鬼龍は顔を見合わせ、一瞬置いて吉野がずいと石舞台に足を踏み入れた。

 柱の内側には分厚く塵が積もり、吉野の、続いて鬼龍の足跡だけが点々とついてゆく。あの磯女や牛鬼どもも、どうやらこの“聖域”には足を踏み入れなかったものと見える。

 「こいつ……か」
 吉野は顔をしかめて祭壇の上を見遣った。
 そこにあるのは緑色の錦の袱紗に包まれた、小さな箱状のものである。その傍にはいかにも何かを祀っているというふうに、小さな丸い鏡が恭しく添えられている。
 「待て、なんぞ仕掛け物などないか、調べてみろ」
 そう言う鬼龍の後ろから、
 「それと、その鏡も改めるのじゃな、鏡の中から何ものか、こちらを伺っておらぬとも限らぬ」
 小滝も言う。
 「何も無いぜ、少なくとも、鏡は」
 「じゃあ、伏せておいてよ、やっぱり薄気味悪いから」
 いつの間にか人の姿に戻った芙蓉が衣の片袖を切って伏せた鏡をさらに覆うと
 「では、いよいよこいつか」
 一同が袱紗包みを手にした吉野を取り囲む。
 「袱紗、解いてご覧よ」
 言われるままに吉野が包みを開くと、中には四角い小さな箱状のものが、やはり緑の錦裂に、今度は箱の形なりにぴったりと包まれている。摘み上げた箱はいかにも軽く、耳元で振ってみるとカタカタと中で何かが転がる音がした。
 「さて、それじゃこいつをぶち壊せばいいのかな」
 そう言った瞬間、
 
 ――待て
 地獄の底から響いてくるような声が、吉野の頭の中で鳴り響いた。
 ――ぬし、なんぞ望みはないか。何でもかなえてやろうがな
 答えの代わりに吉野は錦を引き裂き、箱を開けた。
 
 闇が、沸いた。

 ――何も望みがないというなら、ぬしらの望みを儂が貰うとしよう
 くぼめた掌の中でさえもころころと転がるほどの小さな箱の中から、人の背丈の倍ほどはあろうかという、もやもやとした半透明の黒い瘴気が湧き上がった。その中にちらちらと、獣の牙や人の目玉、切り取られた舌、その他多くのおぞましい形が見え隠れするのである。舌の一枚がぬめぬめと動き、そうすると言葉が響いた。
 「あれえ、狗神」
 芙蓉が目を丸くして呟いた。

 狗神とはあめつちの中から生まれた怪異でない。人がこしらえて初めて成るものである。
 飼い犬を土に首だけ出して埋(い)け、その鼻先、しかし決して口の届かぬ場所にうまそうな飯を置く。そうして犬が飢え果て、喰いたいという想いが最高潮に達したときにその首を切り離す。飛んでいって餌に喰らいついた首を取り、七日七夜おぞましい儀式を執り行ってその精髄を箱に収める。そうしてできた箱に定められたように色々なものを与えて大事に扱ううちに、それは強い強い力を持つようになるのだ。
 それこそが狗神であるが、その性は常に陰にして邪悪。人を殺め、人の富貴を損ない、人の栄達を妨げることは大の得意。また願いを掛ければ叶わぬということはないが、どんなによいことを願ったとしても決して思うたようにはならぬ。言葉は思いをそのまま伝えるとは限らぬ。思いとはいささか離れた願いの言葉の、その間隙を捕らえ、いずれは悪しきことにつながるようにと狗神は願いを叶えるのである。そうして殺められ、損なわれ、妨げられ、歪められてついには哀れな末路を辿ったものたちの怨念を取り込んで、狗神はさらにその身を太らせるのである。

 そうしてどれほどの願いを叶え、生じた怨念をその身に纏ってきたか、虹川家に伝わる御箱様はどす黒い瘴気を振り撒きながら脅すように膨れ上がった。

 その瞬間、小滝が気合一閃、柱のすぐ外まで飛び退る。
 「済まぬがこの瘴気の中では術が鈍る。ここから戦わせてもらうぞ」
 ――ほう。儂の威風に恐れを成したか。何なら話を聞いてやらぬでも
 声は途中で途切れた。小滝が掌を突き出すままに闇はぐにゃりと傾いだ。
 「話さぬ」
 「話す事などない」
 「話さねばならぬわけもない」
 「そもそも話せる気がしない」
 そうして唯一の応えは異口同音。それが合図のように刃が閃く。

 吉野、赤鼻丸を抜くと見せかけ、宙に浮いた目玉がそちらに気をとられた隙に、抜く手も見せず懐から赤錆丸を叩き込む。あわてて目玉がぐるりと裏返ったところへ赤猫丸が闇に突っ立ち、ごうと炎を吹き出す。目玉はもう一度裏返り、何やら怯えたように吉野とは反対側に逃げた。こいつは俺の先手先手を思わぬ場所から突いてくる、とてもかなうものではない。が、逃げた先には鬼龍の鉞。逃げられぬのならと闇は逆に膨れ上がった。いくらでも湧き出すケダモノの牙が、周囲を取り囲む二人と一匹の肌を裂き、そこから生気を蝕む。

 「待て芙蓉、俺がこいつの首根っこを抑えるから」
 鬼龍の叫びが獣の唸りを圧して薄闇に響いた。
 「おれより他に貴様の敵はなし、目を逸らすなら覚悟せい」
 鬼龍が喚き叫ぶ。鉞の狙いが定まったのを見計らい、芙蓉はあめつちの理を歌に紡いだ。闇から繰り出される牙を一瞬戸惑わせれば充分、そもそも人の生気は人の中にあるべきもの、闇の力で裂かれた肌理なら、その力が一瞬でも及ばなくなれば傷はふさがってしまうのだ。

 自らを目の前にしながらのんびりと呪を紡ぐ小狐に、狗神は当然のように襲い掛かる。しかし僅かでも身動きすれば後ろから鉞で薙がれ、慌てて体を捻れば恐るべき短刀にざくりとえぐられる。これはいかぬと飛んで逃げようとすれば三方からよってたかって殴り落とされ、そうしてこれはいかなることか、大男の持つ鉞からほとばしる剣気に縫いとめられたように身動きが取れぬ。たまらず狗神はしゃがれ声で呼び立てた

 ――来い、早く来い、お前達を作ってやったのは儂であったろうが。主人の危機に何をしておる

 これはいかぬ、あの三姉妹は命じられれば現われて俺達を討たざるを得まい、とっととこいつを片付けよう。
 とはいうものの、半ば煙のような狗神を撃つのは並大抵のことではない。倒しきれずにいるうちに、石舞台の中にうっすらと三人の娘の姿。そしてその本来の姿であったろう筝と鼓と笛が、半ば透き通った娘の姿の芯を成すように、宙にゆらゆらと浮いている。三つの楽器が鳴り響くと、四方柱の中には心乱さずにはおかぬ楽の音が満ち、そこにいる者たちの手は思うようには動かなくなるのだ。はやく、はやく御箱様を壊してと、半ば朧に透けたままならぬ手で自らの体内の筝を掻き鳴らしながら、悲痛な声で月沙の女君が叫ぶ。

 「わしは無事じゃがな。姫君方心安んじておられよ、すぐにあの化け物は片付けて進ぜる」
 しかし、そう、四方柱の外に退いていた小滝は無事。そうして片手に宝珠、片手に独鈷を掲げて声高に真言を叫べば、音にゆがめられた空間がさらに歪み、その中から無数のつぶてが湧き出して激しく狗神を打つのである。芙蓉も狗神を愚弄するようにその目の前で呪を紡ぐ。狗神はその隙に乗じようとするが
 「おれより他に貴様の敵はなしと言うたろうが」
 その度に鬼龍の鉞が唸るのである。

 しかし、
 「ごめん兄さん、あたしもう囮になれない」
 「おお、よく耐えてくれた狐殿、もう案ずるな、さあ、化け物めこっちに打って来い」
 鬼龍がすいと鉞を引けば、狗神、今度はそちらの隙に乗じようとして芙蓉のほうががら空きになる。その隙に退いて自らの傷口を塞ぐと、また牙を剥いて狗神に駆け寄る芙蓉。吉野の短刀が狗神の目玉をえぐり、天狗つぶてがもう一度湧き出して闇を押しひしぐと、さしもの御箱様もついに砕け散った。
 闇は散り、後に残るは壊れた箱と犬の牙がひとつ。


このシーンの裏側。
posted by たきのはら at 07:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 曙草東道行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月15日

第3幕『勿忘奏楽』その8

 どうぞ必ずや、とひっそりと頭を下げる三姉妹に見送られ、とっぷりと暮れかけた中、一行は屋敷を出た。教えられたとおりに浜に降り、磯づたいにしばらく行くと、崖が海へと迫り出し、その足下が深い洞窟になっている。打ち寄せる波は崖の根を深く削り、砂の溜まった岩場のところどころには潮が溜まっていた。芙蓉がそっと前足を差し入れてみると、足が立つ場所もあれば淵のように深くなっているところもある。いざとなったら鬼龍の肩の上によじ登らなけりゃ、と、芙蓉は冗談でもなさそうに言った。

 「“おんばこさま”とやらはこの奥か」
 鬼龍が問うともなく言うと、
 「間違いなかろうな。この崖の胎内に一歩足を踏み入れれば、もう気が澱んでおる。生臭い陰の気で息も詰まりそうじゃ」
 小滝が苦々しげな声で応えた。 
 吉野は腰の双剣の柄に手をかけ、鋼の重みを確かめた。手に馴染んだ赤鼻丸と赤猫丸。そうして懐には鈴鹿の鬼の山塞から頂戴してきた短刀、赤錆丸、人の血を啜っては刀身に纏うと称する業物を呑んでいる。

 「おい、あれは」
 ふと振り返り、洞窟からちらりと海の方に視線を走らせて吉野は声を揚げた。
 星明かりの中に浮かぶ人影。
 衣の裾をはためかせ、波の上に老婆が一人。針を植えたようにぎらぎらと光るざんばらの白髪、よどんだ淵の色の肌の中に赤い瞳。皺んだ口元はどうせいざとなれば耳まで裂けるのだろうよと思いながら吉野は、足先で芙蓉を小突いた。ありゃなんだ、物知りの狐殿。
 「ああ、磯女」
 少し目を細めてから、芙蓉は言った。
 「やかましい鬼婆だよ。磯住まいの」

 「おお、飯じゃ、飯じゃ、温かい飯がおいでなすったよ」
 そうして洞窟の中に身構える一行を認めたか、磯女はきしむような声で耳に刺さる叫びを上げたものである。
 「おまえたち何をしているんだい、今日は外に行かなくてもおまんまがいただけるよ、ぐずぐずするんじゃないよ」
 するとそれに応えて暗い岩壁から染み出すように現れたのは、後ろ足で立ち上がった牛二頭。いや、牛でない、鬼だ。鬼の体に牛の頭、大斧を担いだ化け物が二匹、老婆の叫びに応え、浅い水たまりを挟んで一行の直ぐ傍に姿を現した。

 「さあ、とっとと料理しておしまい」
 言うやいなや、老婆は飛ぶように水の上を走り始めた。そうしてがばりと大口を開けると、喉も破れよとばかりに叫び声をあげたのである。牛鬼が現れたのに応じて体を開き、いくらか距離を取っていた小滝だけが無事、あとはまともに金切り声に耳を打たれてよろめく。
 「ほうら、やつらを柔らかくしてやったよ。いまだよとっとと片づけるんだ」
 「くそやかましい婆あだ」
 うめくように鬼龍は言うと、小滝と芙蓉を見遣った。
 「俺はこの牛鬼どもをやる。婆あは任せた、手の届かぬ場所からぎゃあぎゃあと言う奴は好かぬ」

 婆あと鬼だけじゃないぜ、と、吉野。俺たち二人でもう一匹相手できるか。
 打ちかかってきた牛鬼をあしらいながら鬼龍がちらりと見ると、吉野の足下の水中にゆらりと動く影。
 何か、いる。

 水の中にぎょろりと光る丸い目と、まともに目が合った。
 そう思った瞬間、鬼龍と吉野の足元の水がざばりと持ち上がった。現れたのは身の幅一間、いや、さらにあろうかと言う大蜘蛛。しかし蜘蛛の頭のあるべき部分には、もう呆れるほど巨大な牛の頭がついている。そうして牛ならばのんびりと草を食むはずの口元にはガチガチとかみ合わされる尖ったのこぎりのような牙がずらりと並ぶ。
 「なんだ太郎丸、もう出てきたのかえ。いいからやっておしまいよ」
 老婆が声を揚げると牛頭の大蜘蛛はがさがさと8本の足を立て、吉野のほうに顔を向けた。そうしておもむろに口を開け、蜘蛛の糸ならぬ白い霧を吐き出した。

 刺すような痛みに思わずたたらを踏み、あたりがぼんやりとおぞましい色に霞むのに、毒霧を吹きかけられたのだとようやっと吉野は気付いた。
 「そいつは今のところ任せた、持ち堪えろ」
 「冗談じゃねえ、とっととその牛鬼ども片付けて加勢してくれ」
 鬼龍の声のした方角に怒鳴りながら、双剣を力任せに蜘蛛の節々に叩き込む。小滝の術も加勢をしてくれているらしい。どうやら押し返せる。そう思った、が。

 再び老婆の金切り声が海面を波立たせた。今度のはさっきの声など比べ物にならぬ。耳の痛みどころか目まで眩む。そうして老婆は山伏姿の小滝が、実は手弱女なのを見て取ったらしい。ずんずんとそちらに向かっていく。
 「おいこら狐、あの婆あをなんとかしろ、小滝に近寄らせるな」
 打ちかかってくる牛鬼どもの大斧を何とか凌ぎながら鬼龍は喚いた。牛鬼の一匹はもう魂切れかけているが、それでもしつこく回り込んできては鬼龍の行く手を遮る。波の中で進むも退くもならず、ぶんぶんと大鉞を振り回しながら鬼龍は焦れていた。
 「なんぞ便利な妖術で片付けちまえ」
 「無茶を仰いますこと、そりゃあ兄さんよりゃあ随分と器用だけど、あたしだってそうそう何でもできやしない」
 芙蓉はぶつぶつと口の中だけで言いながら、とはいえ手をこまねいているわけにもいかぬ。
 焼け死んでくれりゃあ近づいても来られぬはず、とばかりに狐火を紡いで飛ばす。その隙に小滝も踏みとどまり、海中に雷の壁を立てるが、これはもとより大声で喚き散らすのが得意の老婆にはさしたる妨げにもならぬ。青白い炎に焼かれながらも老婆がさらに陸に近づいたとき、
 「ハッ、なりは大きかったが結局は婆あの下っ端、口ほどにもない」
 鬼龍が牛鬼一匹の首をすっぱりと斬り飛ばした。足下に転がった牛の首に、もう一匹の牛鬼は思わず浮き足立つ。

 「ええ、なにをびくついているんだね、太郎丸がいる限りあたしたちが負けるはずもなかろうが」
 もう白髪を狐火でぼうぼうと燃え上がらせながら、磯女は金切り声で喚きたてた。ほら、太郎丸、やっておしまい。
 吉野の足元の砂がいきなりえぐれた。危うく大蜘蛛の腹の下に滑り込みそうになりながら、吉野は身を捩った。半ば砂に埋もれた吉野の頭上を、鋼のような蜘蛛の爪が次々に薙いでゆく。
 「今度こそいけねえ、そろそろ加勢してくれ」
 「すまぬ、婆あにてこずっておった」
 小滝が手をかざすと、いずこからともなく現れたつぶてがばらばらと大蜘蛛を撃った。そうして芙蓉も、
 「そいつに術をかけたよ、今、そいつは兄さんの事が見えてないから、好きなように切り刻んでいいよ」
 だからそういう、わけのわからないのをあの婆あにも使えと言ったんだ、と、残った牛鬼を相手取りながら鬼龍が言う。

 そうこうするうちに、磯女は狐火で心の臓までを焼ききられ、「おんばこさまぁ」と一声叫んで事切れた。さすがに逃げ失せようとした牛鬼は、鬼龍が二歩ばかり追って真っ二つに切り捨てた。残った大蜘蛛には狐火の欠片が燃え移り、胸元を裂かれた上に背中を焼かれて大蜘蛛はそのまま動かなくなった。吉野がさらに大蜘蛛の腹までを割くと、中からは無数のしゃれこうべが転がりだしてきた。

 「磯で旅人を襲っていたというのは、きっとこやつらだったのだろうのう」
 ぽつりと小滝が言った。

このシーンの裏側。
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2010年05月14日

第3幕『勿忘奏楽』その7

 姉上さま、それは、と、明玲の女君、瑠璃光の女君が立ち上がりかけるのを押さえ、月沙の女君は一行四人の前に居住まいを正した。
 「恐れることはありません、まだ日も暮れかけたばかり、御箱様(おんばこさま)もまだ目覚めてはいないでしょう。
 ――何もかもお話しいたします」

 私どもが麗の姉であり、病に倒れたと言ったのはすべて偽り、そらごとです。虹川の大殿が病で死に、麗が同じ病で目の光を失ったのは本当の話。けれど麗の三人の姉は既に嫁いでおり、この屋敷にはおりませんでした。誰もいない屋敷に、麗は一人取り残されたのです。
 ところで、この屋敷には――それとも虹川家に持ち伝えられてきたものだったやもしれませぬが、御箱様と呼ばれるものがありました。それは力あるもので、祈り頼めば願いを叶えてくれたのです。
 麗はその御箱様に祈りました。幼い頃に都で何不自由なく、三人の姉と共に暮らしていた幸せな時を我が身に戻してくれと。そうして――

 「祈りが通じて、そなたたちが現れたというのじゃな」
 「その通りにございます」
 「では、ぬしらはもともと霊の類ではないというのか」
 「はい、違います。私どもは御箱様に作られた身。それゆえ御箱様の望むことを果たさずには居られぬ身なのです」
 鬼龍の問いにうつむきがちに答えると、月沙の女君は覚悟を決めたように顔をあげた。
 「あの、桜。あれがただならぬものであることは私たちもよく存じております。あの花を咲かせることこそが御箱様の望まれたことでした。私どもが夜の闇に紛れて楽を奏でると、あの桜は応じて花開くのです。
 この身が陽のものではないように、そのとき奏でる楽の音も応じて開く花も、けっして陽のものではございませぬ。けれど私どもはこうして屋敷の中、ここにいる限り悪しきことはあるまい、御箱様が望むのならそうすればよい、私どもは麗が命果てるまで守ってゆけばよい、と、そう思うようにしていたのでございます。
 けれど」

 そこで月沙の女君は言葉を切り、少しうつむいた。言うべき言葉を捜しているふうでもあった。
 「麗が危ない、と、あなたがたは仰いました」
 ふた息ばかりおいて、また面の唇あたりから声が流れ出した。
 「それは確かに私どもも案じておりました。あの桜はどこまで咲くのだろう、御箱様の望みは何なのだろう、と。そしてあの桜が咲ききったとき、私どもは麗をあの桜の元に連れてゆかねばならなくなるのではないか、と。
 案じてもせんないこと、とも思いました。御箱様の思い通りにしなければ私どももこうしてはいられない、私どもがいなくなってしまえば麗も生きてはいられない、だから望まれることを望まれるままにせねばならないのだ、と」
 「でも、それは」
 芙蓉が割って入ろうとするのを、月沙の女君は袖を振って押し留めた。

 「けれど、こうなったからには心を決めました――明玲、瑠璃光、よいですね。
 御箱様の力を断って下さいませ」
 「だが、そしたらあんたがたは」
 これは吉野。
 「わかっております。ですからお願いはふたつございます。先ほどのがひとつめ。もうひとつは麗の身の上をお願いいたしたく存じます」
 「さもあらん、」
 答えかけて鬼龍が小滝のほうを見る。大天狗殿、なんとかしてやってくれ。
 吉野も芙蓉もそろって小滝を見る。この四人、いや三人と一匹の中では、頼りになる伝手(つて)を持っているのはすなわち大天狗であろう。小滝は一瞬考え込むふうをしたが、なんとかしようと呟くように言った。

 「よし、ふたつめは大天狗殿がひきうけたとのこと、で、ひとつめは……」
 鬼龍が言いかけたところで、隣の部屋から
 「お姉さま、そろそろお腹が空きました」
 ふざけて甘えてみせる麗の女君の声。

 ああ、そうでした、お客様もいらっしゃいますもの、急ぎましょうねと明るい声で言って、明玲の女君が立ち上がる。小さな姿が衣をまとわりつかせながら台所へ降りると、見えない手が鍋を持ち上げ、火を焚きつけ、食事の支度を始める。もちろん騒霊の力ですることなのだが、ひとりでに鍋釜包丁が宙を舞っているようにしか見えぬ。何とも落ち着かない。ついに芙蓉が腰を上げ、何かお手伝いしましょうかと声をかけると、小面がひょいとこちらを向いて「大丈夫です、お客様は座っていらしてくださいな」と、これは何やらくすりと笑ったふう。芙蓉、立ちかけた膝を慌てて戻した。

 瑠璃光の女君は隣室の麗の女君のもとへ行き、月沙の女君だけが残った。
 「では、ひとつめの話を詳しく聞かせて貰おうか」
 鬼龍が言う。
 月沙の女君は声を潜め、早口に語りだした。

 「申します。よくお聞きくださいませ。今しか申し上げられないことですから。日が落ちて間もない今なら御箱様も目覚めたばかり、私の声を聞き取ることもそうはできますまい。
 私たちと共に暮らすようになった後、麗は自室に祀っていた御箱様をこの家から出しました。というより御箱様に命じられて私どもがそのようにしたのです。
 この屋敷から海岸に下りて少し行くと、海際に山が迫り出し、海が山を穿って洞を成しているところがございます。その最初の洞の奥に御箱様がございます。それがそこにあるのを知りながら、私どもではどうにもなりませぬ。どうか御箱様の力を断ってくださいませ」
 「承知」
 「わかった、安心しろ」
 「ところで、その、御箱様とはなんなのじゃな」
 鬼龍と吉野が勢い込んで答えたあと、ふと小滝が問うた。
 「わかりませぬ。とても強く、恐ろしいものです。ただ、箱の形をしております」

 そこまで言うと、月沙の女君は一同の顔を見回し、もう一度居住まいを正して深々と頭(こうべ)を垂れた。
 「どうかお願いいたします」
 「必ずや、な。もう案じずともよい」
 「お妹御のことも、必ず」
 「ああ、ほんとうにお願いいたします。どうか麗を不幸せにしないでくださいませ。私どもは御箱様に作られた身ですが、本当にあの子を大事に思っているのです」

 いつのまにか、明玲、瑠璃光の二人の女君も戻ってきていた。月沙の女君は正面から、瑠璃光の女君は隣室の襖の陰から、そうして包丁を手にした明玲の女君が台所から、三組の黒い穴の目が凝(じ)っと四人を見つめていた。
 「あなた様方が良い方々で嬉しゅうございます。こうして話をしながらも、もし頼るべきひとでないと思うたなら、私たちはあなた方を殺してしまうつもりでしたから」


このシーンの裏側。
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2010年05月13日

第3幕『勿忘奏楽』その6

 「こうして座っていても、埒はあきませぬ」
 先に言葉を発したのは三姉妹の側。明玲の女君である。
 「もう日も暮れます、夕餉の支度をいたしましょう。皆様方も長旅、さぞお疲れでしょう。何かあたたかいものでもお腹に入れて、それからお話はいたしましょう」
 すると瑠璃光の女君が返事のように立ち上がり、無言のまま隣室へと続く襖を開けた。
 「どうぞ、あちらへ。私たちも参りましょう」
 月沙の女君はそう言って麗の女君を振り返り、何事かその耳にささやくと、おもむろに“客人”たちを促した。

 隣は座敷というよりも控え間で、そのまま台所に降りられるようになっている。食事の支度をしながら、麗の女君の心を騒がさずに話そうというのだろう。
 一応は人の姿をした四人と、まるでからくり人形のような三つの姿は互いに向き合い、またしばらく黙りこくった。戸を立てた薄闇に目が慣れるに従って、衣と面に覆われた下に、ほっそりとした童女の姿が半ば透き通ってあるのを、まず吉野が見て取った。そのことを告げられた残りの三人の目にも、そう思ってみればたおやかな娘たちの姿が朧に映るのである。

 「さて、では話してもらおうか。ぬしらは何者だ」
 今度は鬼龍が先に口を利いた。答えはしばらくの沈黙。が、
 「お察しの通りです。私たちはこの世のものではありませぬ」
 ややあって月沙の女君が応え(いらえ)を始めた。
 
 虹川の大殿はわけあって都を落ちてきた。その事情は今では知れぬし、今に続く因縁もない以上、こたびの事柄にも関わりはない。大殿に付き従って落ちてきたのは、身の回りの世話をするわずかな者と四人の娘たちばかり。落ちてきた都人たちは海際の寒村に、身を寄せ合うようにして暮らすことになった。しかし娘たちにとっては、姉妹が揃って暮らせさえすればそれは寂しいとばかりも思えぬ、ほのぼのとした日々なのだった。
 しかしある年の冬、悪い流行病(はやりやまい)がこのあたり一帯で猛威を振るった。
 当主の大殿を始め、屋敷の者はみな病に倒れ、そのまま死んでしまった。月沙、明玲、瑠璃光の三人も同じこと。麗だけが命長らえたが、病の床から身を起こした時、その目は光を失っていた。

 「最期の息を吐きながら、私たちは案じていました。父さま(ととさま)も側仕えのものたちもみな死んでしまった、私たちまで死んだら妹は、麗はどうなるだろう、と」
 案じるあまりの心残りが凝(こご)ったか。
 「気づいたときには、三人ともがこのような浅ましい姿と成り果てておりました」 

 おお、それでようやく知れた、この者たちは幽霊ではないのだよ、と、小滝は傍の三人に言って聞かせた。死んだ後の恨みが残ったというよりは、この世にあり続けるために、ありようを変えたのだな。これは騒霊(そうれい)という。なんとか形を保って目の見えぬ妹を助けようと、この者たちは騒霊となったのだ。 話には聞いていたが実際にこう、膝詰めで向かい合こうことになろうとはわしも思わなんだ。
 「では、あの桜は」
 そう、吉野は小滝に問うた。
 「そうはいってもこの娘御たち、命あるものではないんだろう。とすればこの娘御たちがこの世に留まるが故に、幽冥の気が溜まってあの桜をあのように変えたのでは」
 「それは知れぬが」
 小滝は首を傾げる。
 「毎年、あの桜は周りに先駆けて咲くのですか。それともこれは今年初めてのことでしょうか」
 芙蓉が問うたが、月沙の女君は首を振り
 「このような姿になってから、私たちには時の流れもしかとは知れなくなりました。いつが去年(こぞ)やら今年やら、夢のように時は過ぎゆくばかり。屋敷の桜が早く咲いたといっても、言われて初めてそうと知るような」
 「ともあれ、あの桜は妖なのだ」
 謡うような月沙の女君の言葉を斬って捨てるように、低く鬼龍は叫んだ。
 「数日前、鈴鹿山中にてあの妖の同類を見た。鳥は落ち草は枯れ根方には白々と骨が転がって、花ばかりが艶やかに咲いておった」
 放っておけばあの桜もそうなるのではないか。そうすればぬしらの守りおる妹御も。少し調子を和らげ、そう続ける。
 「けれど、私たちがいなければあの子はとっくに身まかっておりましょう」
 突然、悲鳴のように瑠璃光の女君が声を挙げた。
 「私たちがいるから桜が死を呼ぶようになったとしても、かといって私たちがいなければ」
 「それはそうでしょうけれども、けれど」
 芙蓉は口ごもった。こちらが道理なら三姉妹の言うも道理である。この世に春の訪れる為と説いたところで、半ば異界のごとき屋敷にひっそりと姉妹だけで隠れ住む者たちには何の力があろう。この世の春は虹川の娘たちの知らぬこと、命失せてまでこの世に残るほど執心した妹の身の上こそが心にかかるは痛いほどわかる。

 「辛いことだの。が、さて」
 「けど、なんとかしてやれないのか」
 たまらず吉野が声を挙げたとき、月沙の女君がふと顔を上げた。
 面にうがたれた穴から、目がひかったように見えた。

 「そこまで心を砕いて下さるのですか。
 ならば、すべてをお話しいたします」

このシーンの裏側。
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2010年05月12日

第3幕『勿忘奏楽』その5

 楽の音が響く。妖に負けぬ、艶やかで華やかな――いや、賑やかな音曲(おんぎょく)。三姉妹も各々の楽器を手にする。絡まりあう楽の音。が、融け合いはせぬ。三姉妹の音色は互いに絡まり合い融け合い、そうして芙蓉の奏でる歌から旋律を奪おうとしている。それに気づき、屋根の上で小滝は身構えた。いざとなったら割って入ろうかと思うたが、楽の音のやりとりから既に戦いというわけか。まさかとはじめは耳を疑ったが、確かに音色のやりとりの中で、三姉妹は芙蓉から曲の流れを奪おうとしていた。楽師同士の意地の張り合いとも思えぬ、この姉妹、かならずや西行妖といかほどかの関わりを持つに違いない。芙蓉が見守る鬼龍と吉野に目配せをする。手拍子を。よォし天狗仕込みの威勢のいいところをひとつぶちかますぜと吉野が勢い込んで手を打ち鳴らし、鬼龍も合わせる。が、三姉妹の楽の音は揺らぐ様子もない。ふた節も奏でぬうちに琵琶と手拍子は奏楽からこぼれ落ち――
 
 これはとうてい敵しうるものではない。
 そう見て取ると芙蓉は鬼龍と吉野に手を振って手拍子を止めさせ、あとは三姉妹の音色に唱和するように琵琶を奏でるのであった。そうすると楽の音はいかにもほのぼのと穏やかに響いた。この音色に禍々しきもののあろうはずがないと芙蓉は奏でながら思った。もし曲に悪しき思惑がまつわっていようものなら、その楽の音に和そうとする時に必ずや何らかの忌むべき気配を感じるはず。が、この曲にはそのような陰はない。

 そう悟ると、芙蓉は琵琶を奏する手を止めた。
 「失礼をいたしました」
 楽器を膝から滑り落すように横たえ、三姉妹と麗の女君に向かって深々と頭を垂れた。
 「仔細あってのこととはいえ、お耳汚しのひと騒動、どうぞお許しくださいませ」
 「私は都の音曲を楽しみにしておりましたのに」
 麗の女君は苦笑いを浮かべて言った。
 「あれではまるで、下々の宴席で酔い騒ぐときのよう。けれど」
 そこまで言って、麗の女君はこんどは嬉しげにほほえんだ。
 「後からはお姉さまたちに合わせて下さいましたのね」
 「はい、そうさせていただきました。これも仔細あってのこと」
 けれどこの身に知れたのは、お三方が比類なき奏楽の名手であるということばかり。

 ひれ伏していた芙蓉は、そこできっと顔だけを挙げた。
 「失礼重々お詫び申し上げます。けれどこれは故(ゆえ)なきことではございませぬ。お庭に咲き誇る桜、美しゅう咲いておられますが、あれは妖と化しております。あの桜は人の死を誘うものと成り果てる、その道半ばにございます。それも十分に生きて後の死でなく、ただこの場での命半ばでの死をあの桜は人々に誘いかけるのです。わたくしたちはそのような桜を余所でも見かけました。すなわち西行妖、と称される化け物に、わたくしたちが見た桜はなりかわっていたのです。お屋敷の桜もきっと、」
 三つの小面がいっせいに芙蓉に向いた。面に人の表情はない。けれど麗の女君はおろおろと身の置きどころもないような顔をしている。

 これはいかぬ。
 小滝は屋根の上で立ち上がった。
 狐が何かへまをしでかしたのやもしれぬ。座敷の奥で赤い衣をまとった小さな姿が立ち上がり、開け放たれていた座敷の戸を立てたのだ。これでは中で何が起こるか知れたものではない。

 薄暗くなった部屋の中は、無言で鬼龍が立ち上がった。その手には大鉞。それをぐいと屋敷の女どもに突きつけ、
 「うぬら、何ものだ」

 戸を立てたのは瑠璃光の女君。月沙の女君は麗の女君を庇うように立つ。明玲の女君が片袖を振ると、部屋の隅に置かれた燭台に鬼火が点った。
 「あ、あの、何が、何がどうしたというのでございましょう」
 麗の女君がおろおろと立ち上がりかけるのを月沙の女君は押し留める。たくし上げた袖から半ば透き通った小さな手が伸び、麗の女君の肩を抱き止めるのを吉野は確かに目にした。
 「うぬら、何ものだ。妖どもが何故あってここに住まいするのだ。答えろ、さもなくば斬る」
 鬼龍が喚き叫んだとき、激しい音を立てて雨戸が座敷に倒れこんだ。途端、夕暮れ前の光が座敷にさっと流れ込んだ。
 「待てい、この場は大天狗、石動の小滝坊が預かった。どちらも手を控えい!」
 一瞬遅れて涼やかな凛々しい名乗り。戸板一枚分だけ照らし出された座敷を見回すと、小滝はおもむろに履物を脱ぎ、蹴込んだ戸板の上から座敷に足を降ろした。
 「どちらも手を控えい。ああ、そこのお三方、仔細はいかようにも聞こうぞ。そう睨んでも甲斐はあるまいよ。鬼龍、そなたもだ。その物騒な長物はさっさと置いたがいい」

 鬼龍が大鉞を収めたのを見届けると、小滝は三姉妹――麗の女君は月沙の女君に抱えられたまま、まだ呆然としている――を前に端座(たんざ)した。
 「もう知れたとは思うが、我らは訳あってこの屋敷を訪の(おとの)うた。わしは能登国石動山に住まいする大天狗小滝と申す。先に通されし三人と同道するものである。この三人が屋敷に入った後、にわかに戸が立てられたによって何事かあらんと思い、無礼とは知りながら急ぎ参った次第。それゆえ玄関から案内(あない)を頼みはせなんだ。常ならぬ場所からの入来(にゅうらい)、どうか許されよ」
 そう、小滝が一息に口上を述べると、三姉妹は出鼻をくじかれた形で黙り込んだ。そうして目の前の四人をじっと眺めている――といってもまなざしを投げて寄越すのは瞳のない小面なのだから、おちつかないことこの上ない。

このシーンの裏側。
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2010年05月10日

第3幕『勿忘奏楽』その4

 戸の陰から覗いたのは、面であった。
 ひっそりと目を伏せた、美しい小面(こおもて)の面である。面だけ見たなら感嘆の声を挙げたろうが、ひとけのありともなしとも知れぬ屋敷の扉からそれが覗くのは、決して気持ちのよいものではない。
 面の周囲に黒い衣が垂れ下がっている。戸はたしかに手をかけて引きあけたものと見えたが、そこから見えるのはだらりと垂れ下がる袖ばかり。それはまるで、幼子が頭から母御前(ははごぜ)の小袿(こうちぎ)を被り、ちょこんと覗いた顔には面をかけたとでもいうような。

 「怪しい奴。さては化け物か」
 背後で鬼龍が大鉞を握りなおす気配を感じ、芙蓉はとっさに玄関に駆け寄った。
 「あの、ご親切に。ありがとうございます」
 「ああ、お泊めしてさしあげるのですね、月沙(つきしろ)のお姉さま」
 戸口を人がくぐる気配をききつけたか、老女が言う。ならば、まちがいない、この小面をかけた黒衣の小さな姿が老女の“姉”なのだ。
 「おい、こいつらは、」
 「化生(けしょう)のものだからといっていちいち叩き斬らなきゃならないんだったら、あたしもとっくに斬られてるよ。ここはあたしにまかせて」
 今にも鉞を振り降ろしそうな鬼龍の耳に小さくささやくと、芙蓉は長い暗い廊下を先に立つ小さな姿の後ろに歩み寄り、そうして息を呑んだ。鬼龍も、そして吉野さえも気づいてはいないようだが、先をゆく黒い衣の中にはなにもない。うつろがふうわりと膨らんでいるのだ。
 「もしや、わたくしどもを恐ろしいと思し召されてそのような姿でいらっしゃるのでしょうか」
 低く、芙蓉はささやいた。どのような化生か知らぬが、ひょっとしたら他所者(よそもの)を警戒して形代(かたしろ)を寄越しているのかもしれぬと思ったのだ。
 「いいえ」
 月沙と呼ばれていた姿は、振りかえって芙蓉をまともに見上げ、笑った。動かぬはずの面が、たしかにひやりとした笑みを浮かべたかに見えたのだ。
 「どうぞ、こちらでございます」
 振り返ったのは一瞬のみ。何事もなかったかのように月沙は襖をからりと引いた。
 戸を開け放った縁側に面したその部屋には、最前の老女。そして小面をつけ衣をすっぽりと被った小さな姿がもうふたつ。

 「ようこそ。このような暮らし故、おもてなしらしきことのひとつもできませぬが、どうぞおくつろぎくださいませ」
 老女はそういって会釈し、ね、お姉さま、と小さな姿のほうに首を傾げてみせた。
 「こ、この方々が……姉上様がた」
 芙蓉は呆然とつぶやいた。座敷に座る面をかけた小さな姿はそれぞれ白い衣と赤い衣を被り、またその前には鼓と笛が置かれている。ひとつ空いた座の前に箏が横たえられているのは、これは月沙が弾じていたものか。
 膝をつき、軽く会釈を返しながら芙蓉は忙しく部屋の様子を見て取った。そして鍵の手に曲がった屋敷の、ちょうどこの部屋のはす向かいに当たる屋根の上に小滝がひらりと飛び上がって身を伏せたのも。
 「はい。私と三人の姉で暮らしているのです。私は麗(うらら)と申します」
 「麗、麗の女君、でいらっしゃいますか」
 「はい、そうして先ほど皆様方をお迎えしたのは一番上の月沙(つきしろ)の姉」
 「私は次女の明玲(めいれい)。どうぞおくつろぎなさいませ。そして都の話でも聞かせてくださいな」
 白い衣の中の小面からも声がして、そうしてこの面はひどく物珍しげに一行を眺めるのである。
 「わたしは瑠璃光(るりこう)」
 三番目の姉君は、順番が回ってきたので仕方なく、というふうに名乗り、あとは黙りこくってただうつむいている。が、その伏せた面から視線がずっと注がれているのを、芙蓉の隣に控えた吉野はなにやら居心地悪く感じていた。

 「あれに咲いているのが、あの、築地の陰から見えた桜か」
 芙蓉が名乗り、そして供の者として吉野と鬼龍を紹介してしまうとなにやら話の継ぎ穂が途切れ、沈黙が落ちた。そこへ鬼龍の大声である。
 「おお、そうでございました。観桜(かんおう)をご所望なのでしたね、どうぞこちらへ」
 そう言って老女――麗の女君は手招いた。
 「おお、いかにも見事な」
 「そうでございますか。私には見えませぬが、気配のようなものはいたします。お心の慰めになったのならば嬉しうございます」
 感嘆の声をあげてみせる鬼龍に、そう言って麗の女君はおっとりと笑ったのだった。

 さて、この桜はいかなるものであろう。
 そう思いつつ吉野は芙蓉に付き従うかのように膝行(しっこう)し、縁側に出た。薄曇りの空に七分咲きほどの桜、そしてそれは。

 「西行妖」
 吉野は短く低く芙蓉の耳にささやいた。
 鈴鹿の山では危うく命を落としかけた。一度あの気配を身体で感じたならば、山の気配を読むに長けた身、二度は過たぬ。虹川大殿(にじかわのおとど)の屋敷にいち早く咲いた桜は、鈴鹿の山中にて死を呼ばわり死を振りまいていたあの妖桜の気配を確かに帯びていた。
 桜の根方を眺めるが、妖と化してまだ日が浅いか力が足らぬか、鳥の死骸などがある様子はない。が、よくよく見れば羽虫あたりがびっしりと降りつもっているのであろうよと口の中でひとりごちると、吉野は鬼龍を見遣り、口を”あ・や・か・し”と形作った。では斬らねばならぬかと鬼龍が大鉞を引き寄せるのを、今度は芙蓉が目で制した。

 屋根の上、ほう、と小滝はつぶやいて耳を澄ませた。
 狐殿はみずからの芸で桜の妖気を破る心算(つもり)か。
 「いかにもお見事な咲きぶり。花も見ず都を後にせねばなかった恨めしい心持もすっかり晴れました。どうぞ何か御礼をさせていただきたく」
 そう言って芙蓉は屋敷の女たちに向かって一礼したのだ。
 「舞を御所望なされますか。楽をご所望なされますか」
 「ならば、都の楽の音を聴かせてはいただけますまいか」
 と、麗の女君。
 「私は目が見えませぬ。ならば、どうぞ楽を」
 「私たちもともに奏でさせていただきます」
 月沙の女君が言葉を継いだ。
 「おお、それはさぞかし面白うございましょう」
 芙蓉も答えて言うと、衣の袂を探り、琵琶を取り出した。
 一斉に三つの面が芙蓉のほうを向いた。当たり前である。先ほどまで、袂に何かが収まっていたふうな様子はなかったのだ。そもそも琵琶が衣の袖に収まろうはずもない。が、芙蓉は意に介さぬふうで奏で始める。同じ化生のもの同士、そちらが妖しの姿を見せるならこちらも妖しの手妻(てづま)を使うから、いちいちと驚くふりをせずともよいというわけかと、小滝は屋根の上で笑った。

このシーンの裏側。
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第3幕『勿忘奏楽』その3

 小滝が女たちと話している間に。
 「わかったからその手を離しておくれよ、化けるから」
 鬼龍の手の下からどうやらすり抜けると芙蓉は宙返りをひとつ、若い娘の姿になった。市女笠のぐるりから唐虫(からむし:絹の薄布)を垂らし、いかにもよい育ちの娘がよんどころない事情あって旅をしているというふう。だが
 「あれ。これでは兄さんたちと一緒に居てはおかしいかしら」
 ふと顔を上げ、鬼龍と吉野の――山野に随分と鍛えられた――姿を等分に見てもう一度宙返りをしようとするのを鬼龍がぐいと押し留め、
 「そのままで居れ」

 とこうするうちに、小滝が戻ってくる。かくかくしかじかと事の次第が繰り延べられると、吉野はひとつ頷き、
 「よし、では早速その桜を検分にいかねばならん」
 なあ、と後ろを振り向きかけ、はっと言葉を留める。そうだ、妖夢は幽冥界のあるじ様に顕界の春を奪うわけを問いただしに行っていて、もうここにはいないのだ。
 「どうした」
 「いやなに、頼りになる剣士がもう一人居ったら一段と心強かろうと、そう思っただけだ」
 鬼龍の問いに早口で答えると、吉野はもう一度、では桜を検分に行くぞと言った。もちろん一行に否やはない。

 虹川の大殿の屋敷は、女たちの言ったとおり、街道の少し先、まだ里には入りきらぬ場所にある。ひとけなくうら寂れ、海際にうずくまるようにあるその屋敷のぐるりを囲む、くすんで崩れかけた白壁の後ろから確かに、
 「おお、咲いておる」
 「六、七分といったところかの」
 微かに紅を含んでほの白い花びらが、曇った空にふうわりとほころんでいる。
 が。

 「おい、この屋敷、人の気配がする」
 六、七分咲きというならば、さっそく満開に咲かせてやらねばなるまいと曙桜の初枝を構えて築地の崩れに歩み寄った吉野が、急に鋭く言って後ずさった。
 「何。だが、」
 「よく見ろ、化け物屋敷と聞いていたが、根太ひとつ抜けた様子はない。屋根も草一本生えておらん。戸も立てられてはおらんし、だからといってその奥に晒され崩れた畳や柱が見えるでもない。たしかに古びて貧乏くさいが、丁寧に手入れはされたふうだ」
 「言われてみればそうじゃのう。庭も細やかに設えたというわけにはいかぬが、荒れ放題というわけでもない、この程度ならいっそ風流」
 「だが、軒先に道具ひとつ出ている様子もないではないか」
 「いや鬼龍、だからこそ薄気味が悪い。人の住まぬ家は気配が荒れる。ひと目見てわかるほど荒れる。この屋敷にはそれがない。そういう目で見るならば、ここには人の気配があるのだ。とはいえ暮らしている様子はない、となると、」
 「それじゃ、とんだ某院(なにがしのいん)、それとも落窪の姫君のお住まいかしら」
 吉野の肩越しに崩れた築地の中を覗き込んだ芙蓉が言う。
 「なんだそれは」
 「某院なら逢引の場所になるけれど嫉妬に狂った生霊が出る、落窪の屋敷なら可哀相な姫(ひい)さまが蟄居(ちっきょ)させられている」
 「ふむ、どちらにしろ人が住むのだな。なら、」
 鬼龍、吉野にむかって顎をしゃくる。
 「お前、一番目端が利くのだから、ちょっと声をかけて来い。ああ、客としてまっとうに玄関から行け」
 吉野はひとつ頷くとすたすたと築地沿いに歩いていく。やがてたどり着いた門は開け放たれ、ひっそりとした屋敷の様子が外からも伺えた。

 「もし、どなたかお住まいでいらっしゃいましょうか」
 瞬き三つ分ほど逡巡した後、吉野はそう、奥に声をかけた。
 と。

 ふつり、と楽の音が消えた。
 微かな微かな楽の音が屋敷の奥から漏れており、吉野が呼びかけるのと同時にそれが途切れた。消えて初めて、大気の中にその音が響いていたのがわかるような音色であった。
 いかにも怪しい。
 このまま何かが起きるのを待つか。
 それとも何も応え(いらえ)がないうちに、そしらぬふりをして仲間のもとに戻るか。
 そう吉野が思ったとき、からりと音を立てて明かり障子が開いた。
 「どなたさまでしょうか」
 声とともに顔を見せたのは、白髪の老女である。年老いてはいるものの、若い頃はさぞかし美しかったろうと思われる品のいい面差し、まとっている衣も質素ではあるもののみすぼらしい様子もなく、人品決して卑しからぬふうである。ただ、その老女、門の方を向いてはいるが、吉野を認めたふうではない。彼女の顔がふと上向いたときにも、その両の瞼は閉じられたまま動かない。屋敷の老女は盲(めし)いていた。

 「旅の者です。お屋敷の軒先にでも一夜の宿をお借りいたしたく、声をかけました」
 とっさに口から出任せを言う。何、今なら芙蓉が風にもあたったことのないような嬢様に見える、もう少し歩けば里に出るからそこに向かえと言われたら、連れがもう歩けないとでも言おう。
 しかしその心配は無用であったとすぐ知れる。
 「まあ、それはさぞかしお困りでいらっしゃるのでしょうけれど……お姉さま、どういたしましょう」
 老女は奥の方に声をかけた。
 姉というのはさきほどの楽を奏でていた者たちか。やはりここには人がいくたりも暮らしているらしい。確かに盲いた老女一人では生きてゆけるはずもない。

 「ご迷惑とは存じますが、どうぞ少しだけ休ませてくださいませ。怪しいものではございませぬ、都からわけあって東国の知り人を訪ねるところなのです」
 いつの間に寄ってきた芙蓉が、細い声で訴えるように言った。
 「最前よりのなんとも雅な音色、思わず涙がこぼれました。都を出てはや幾日、久しくあのような楽の音を聴きませなんだ、今となってはいかにも懐かしく」
 「それにあの桜、」
 鬼龍も門前に立っていた。
 「都を出たときはまだ春も浅く、花も見ずに参った。今ちらと見ればいかにも見事な枝振り、咲きぶり。今年は春が遅いせいか道中花のひとつもない侘びしさ耐え難く、どうかお屋敷の桜を見せていただきたい」
 これは何だろう、やんごとない姫さまと北面の武士あたりの取り合わせと老女には思われているのだろうかと吉野が呆れ顔を背けながらふと考えたとき、玄関の戸ががたりと開いた。
 「どうぞ、お入りになってくださいませ」

 開いた戸のほうを向いて三人、息を呑んだ。
 老女が姉と呼んだ以上、同様の老女が出てくるものと思ったが、戸の隙間から半身を出して覗いたのはもっと小さな姿。有り体に言うならば人の顔ですらない。 

このシーンの裏側。
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2010年05月08日

第3幕『勿忘奏楽』その2

 もうここまでくれば犬も追ってこないかとようやく女たちが足を止めたところで、もし、と涼やかな声。振り向けば
 「あれまあ、験者(げんじゃ)さま」
 「こんなところに、なんてきれいな」
 若い方の女がそういって、微かに頬を赤らめた。
 声をかけたのはもちろん小滝である。普段より少し声を低く落とし、そうするとすっかり凛々しい美少年の修験者の体(てい)である。ああ、験者さまがいらっしゃるというのにわたしどもときたら生臭ものを持って、と、女達が慌しげに道の端に避けかけるのを
 「ああこれ、わしはまだこれより勧行(かんぎょう)に向かおうという身、生臭ものを口にすることはならぬが、わざわざと遠ざけるには及ばぬ」
 それよりも随分と急いでいたようだが、何かあったのか。

 犬が出たのですよ、と若い方の女が言った。
 「なに、犬が」
 「はい、最近の犬は性悪で人を喰ったりいたします」
 「なんと」
 これ、めったなことを言うものじゃないと年嵩のほうの女が言った。が、黙られてしまってはわざわざ追いかけた甲斐がない。それは捨て置けぬことだと小滝が言うと、娘のほうは勢い込んで
 「誰も見たものはないんですけれどもね。海岸に時々旅の人のものらしき持ち物が散らばっていたりするのですよう」

 となると年嵩の女も黙ってはいない。
 「その中に時々、髪の毛がついたままの皮の切れ端だの、爪の生えた指のかけらだのが混ざっているんです」
 「その隣で砂が蹴散らされ、なにものかが大暴れをしたあとが」
 だからきっと山犬が群をなして人を襲うに違いないのですよ、と、女たちは口々に言った。
 「山犬の群れが、のう。だが、あのものたちがそのような、人の欠片ばかりがちらちらと残るような喰い荒らし方をするものじゃろうか」
 「だからきっとものすごい数の群なのでしょう、ああ、恐ろし」
 年嵩の女はぞっとしたように首を縮めるが、若い女のほうは
 「だから本当に化け物、魔物の仕業かもしれないんですよう」

 これ、まためったなことを言うものでないと年嵩なほうが留めに入ってくるのをうまくかわして聞き出せば、どうやらまず、老婆の姿の化け物が出るらしい。海ぎわを歩いていると、どこからか声をかけられる。声の主を探すと赤子を抱いた感じのよい老婆で、ちょっと用を足してきたい、すぐ戻るから代わりにこの子の守をしていてくれと頼むのだという。親切心を起こして赤子を抱き取ると、老婆は丁寧に礼を言って姿を消すがいっかな戻ってこない。おかしいと思ううちに、腕の中の赤子がどんどんと重くなってくる。そうしてはっと気がつくと、もうそこまで潮が満ちていて、慌てて歩き出そうにも腕の中の赤子が胸にかじりついており、その手を見ればおそろしいような鉤爪、ぎゃっといって放り出そうとすると胸元から見上げて寄越した顔のおそろしいこと、目は火のように燃え、口は耳まで裂けていて……
 「なんとか赤子の姿の化け物を振り捨てて陸に逃げられればよし、そうでなければそのまま海に沈んでしまうというのですよう」

 「おお、そんなものが出るかもしれぬ道で犬がうろついていたなら逃げるも道理。さぞかし難儀をなさっておいでなのだろう、ここで行き逢うたが仏縁、魔避けの真言を唱えて進ぜよう」
 このままでは虹川某とやらの屋敷の話が聞きだせぬなと少しばかりやきもきしながら、小滝は女たちに向かって合掌し、真言を唱えてやる。
 「ありがたやありがたや。さっきは怖い目を見たけれど、こうして験者さまのお守りもいただけて、本当にありがたいことでございます」
 女たちは口々に礼を言い、そして
 「そういえば、験者さまはどちらへいらっしゃるのです?」
 ありがたい、渡りに舟と思うが、もちろんそれは顔には出さない。
 「わしは都より東国のほうに参るところ、このままこの道を行けば里に続いておるのかの」
 「ええ、それでしたらこのままずうっとおいでなさいまし」
 「ああ、けれど、」
 年嵩の女が別れの辞儀をしかけるのを、若い女が遮った。

 「ここをしばらく行くと、里に入る前に古い大きな空き屋敷がございます、そこには決して立ち入られませぬよう」
 「なんじゃの、そこも何か化け物が」
 「化け物が出るといわれているのでございますよう。それにこのところ、その屋敷の庭で怪しいことが」
 そうしてまた互いに台詞を取り合うように話す女たちの物語を継ぎ合わせてみると、話はおおよそこういうことだった。

 この道のしばらく先、といっても人里からするとまだ外れのほうに、大きな空き屋敷がある。これは虹川の大殿(おとど)の屋敷といって、昔、なにやらいざこざがあって都に居続けができなくなり、この地に所領があったとかで都からここまで落ちてきた、虹川某という貴族の屋敷なのだという。この人物はそのままこの地で没したのだが、跡継ぎはおらず、そうして屋敷だけが住む人もなく荒れ放題で残っている。その屋敷は虹川某の没後、化け物屋敷だか幽霊屋敷だかと化したようで、中に踏み込むと必ず怪異が起こる。というわけで取り壊しもならぬまま、今でもそこにあるのだそうだ。

 そして、その屋敷の庭の桜が咲いたのだという。

 今年は春の訪れが遅く、桜はおろか梅のほころぶのもためらいがちだというのに、どういうわけかその虹川の大殿の屋敷の庭の桜だけが、突然に咲き出したのだという。
 「桜といえば風流のものでございますから、麗しく咲いているといえば私どもも見に行きたいとは思いますが」
 「なにしろあのような恐ろしい噂のある場所でございますし、普段は早咲きでもないというのに突然に咲き誇ったという不思議、かえって恐ろしゅうございます」
 「血気にはやった愚か者たちが虹川の屋敷に踏み込んで桜を愛でながら酒盛りをしてみせるなどといきまいておりますが」
 「まだしでかした様子はございませぬ」

 ともあれそこは本当に恐ろしい場所、珍らかに花が咲いているからといって、うかと近寄ったりなさいませんように。
 そう女たちは小滝に念を押し、礼を言われるとまた上気したような表情になって立ち去って行った。

このシーンの裏側。
posted by たきのはら at 23:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 曙草東道行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月07日

第3幕『勿忘奏楽』その1

 海沿いをごとごとと列車は走ってゆく。静岡に入ってもうずいぶん来ただろうか。
 浅い春か冬の名残りか、傾きかけた日の中で、打ち寄せる波頭は鈍い灰色にけぶっている。

 「このあたりは、初めてですか」
 突然、隣から声がかかった。見ると、さっき乗り合わせた品のいい初老の紳士である。
 「いや、何、この変哲もない景色を熱心に眺めておいでだったから」

 自分はこのあたりの生まれなのだと紳士は言った。言葉を交わすうちになんとも好もしい人物であるように思えたので、つい、劇作の種を探す旅なのだということを打ち明けた。そうすると紳士は俄然目を輝かせ、
 「でしたらなかなか面白い話を知っていますよ」
 と言った。
 このまましばらく行った先に垂水(たるみ)の浦と呼ばれる場所があるという。そこは岩山が海岸近くまで迫り出し、岩の洞がいくつもあり、舟を出して海から眺めるとなかなかの絶景なのだとか。
 「その洞の中にはこのあたりの漁師が海神様を祭ったものもありましてね、陸側から回っていこうとすると岩場には足は取られる、飛沫には濡れるでちょっとした面倒な道なのですが」
 海側から眺めると、洞窟の口に白い注連(しめ)が渡され、なかなかすがすがしい良い景色なのだとか。

 「そのような古い社には、もう誰も拝むものがいなくなって、注連縄が落ちてしまったものもありましてね。そこに、化け物が住み着いたというのですよ」
 「ほう、それは」



 人里にも春を呼ばねばなるまいというので、一行は山を降り、東海道を急いでいた。とはいえ、雲つくような大男にいかにも人擦れのしない若者、修験者、そして妙に尻尾のふっさりとした白犬という取り合わせ。山人が所用あって里に降りて来たといって通らなければ、山に住む猟師か何かといった触れ込みを言い立てたならどうにか人を納得させられようかという面々ではあるのだが。

 京の都はすぐに出立してしまっていたから、それこそ吉野にとっては久しぶりの人里である。桜のことさえなければ物見遊山もさぞかし楽しいだろうにと口走っては、鬼龍にたしなめられながら先を急ぐ。そうするうちに駿河国(するがのくに)に入り、鈴鹿からは遠く望んでいた富士をまともに仰ぎながら海沿いを歩くことになる。その日は昼をずいぶんと過ぎて、そろそろ今宵はどこに宿を取るか目処をつけねばならぬと言うころになって、人と行き逢った。

 人は女の二人連れである。ぱらぱらと漁師の家のあるあたりも通り過ぎて来たから、おそらくそのあたりの女房や娘が近隣に物売りにでも行こうというのだろうと検討はついた。女たちは干魚を籠に入れて頭の上に乗せ、喋りながらぶらぶらと歩いてゆく。

 「そういえば、虹川の大殿(にじかわのおとど)のお屋敷で、桜が咲いたってね」
 「おや、今年は春も遅いというのに、よりにもよってあの屋敷で。ずいぶんと不思議なこと」

 耳聡く聞きつけた芙蓉は、三本の尻尾をきゅっと一本にまとめると、このあたりの野良犬のふうを装って、二人のほうにとことこと近づいていく。気付かれたらおびえさせない程度に物欲しそうな顔でもしておけば、魚の匂いを嗅ぎ付けて寄って来たそのあたりの犬とでも思ってもらえるだろう。

 ところが、二人の女は近づいてくる芙蓉を見たとたん、
 「あれ、こんなところに犬がいるよ」
 「山犬だよ、恐ろしい」
 と口々に言いながらばたばたと逃げ出すではないか。
 しまった、人里に放れ犬が出たら怖がられるのだった、と思い出したときはもう遅い。

 「芙蓉! 戻って来い!!」
 道の向こうで吉野が声を上げる。あれまあ、山育ちの猟師が飼い犬を呼ぶ名にしてはずいぶんと雅なこと、と、自分のしでかしたことを棚に上げながら芙蓉は駆け戻り
 「虹川とかいうお屋敷で、時ならず桜が咲いたって。誰か行って話を聞いてきてよ」
 と、ぬけぬけと言ったものである。

 「では、わしが参るとしよう」
 呆れたように応えて小滝は走り出す。その足が地を蹴ったかと思うと、大して早くもない女たちの逃げ足に、小滝はもう追いついている。それを横目に見ながら鬼龍は芙蓉の首っ玉をぐいと押さえつけた。
 「まったくろくなことをせん犬ころだ、キャンとでも言ってみろ、そっ首叩き落してくれるからな」
 待ってよ、あの人たちこっちに気付いちゃいない、手を離してよ、と芙蓉は人間の言葉で悲鳴を上げ、よけいぎゅうと締め上げられて情けない声を上げる。
 もちろんその時には道の向こうで、小滝が女たちに追いついて声をかけているのだが。


このシーンの裏側。
posted by たきのはら at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 曙草東道行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

曙草東道行:第3幕『勿忘奏楽』前口上

 というわけで、主にDMの趣味で“東方プロジェクト”風味を混ぜながら遊んでいる中世日本D&D4版キャンペーン、『曙草東道行』第3回レポートです。

 いつも、遊んだ人だけに見えるところで下書きしてから一気にこちらにアップするという方法を取っているのですが、それがなんだか偉く評判悪い。なかなか更新がないと思ったら、ある日いきなりどかっと薄い文庫本1冊くらいにはなろうかという量が更新されているのでは読むほうはちょっと読みづらいとか何とか。

 ……というわけで、今回から、物語にしっかり裏側をつけながら1日1〜2エントリずつアップする短期連載型にしようかと。ちょっとはマシかなぁ。マシだといいなぁ。

 前回までは鬼龍(ゴライアス・ファイター)、吉野(ヒューマン・ローグ/ファイター)、小滝(エラドリン・ウィザード)、芙蓉(キツネ・バード)、そしてNPCの妖夢(シャダーカイの……ええと何だっけ、ファイター?)という陣立てだったのですが、妖夢は幽冥界のあるじ様のところに、今回の事件の発端となった“顕界の桜の初枝をすべて集める”事の経緯と是非を問いただしに帰り、今回は7レベル4人のパーティーです。

 春もまだ浅い頃に京の都を発った一行、五条大橋でひと騒動し、次は鈴鹿の山中を抜け、となると今回は岐阜高山の味噌買い橋あたりが舞台ですかと予想のお便りまでいただいたりしたのですが、どうやらそのまま東海道に抜けたようで今回の舞台は海沿い、駿河国、垂水の浦です。

 ……次回までに道筋がさくっと見えるよう、白地図に書き込みしたのとか用意したほうがいいかなぁ……

 では、曙草東道行・第3幕、『勿忘奏楽(わすれなのそうがく)』物語第1回の更新は本日夜半ごろに。
posted by たきのはら at 14:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 曙草東道行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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