2023年12月29日

【鬼の研究】シーズン1:第1話《猿の怪》目次

――国内の山村にして遠野よりさらに物深き所にはまた無数の山神山人の伝説あるべし。願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。  

柳田國男 『遠野物語』序文より




というわけで、あらためまして、お久しぶりです、たきのはらです。
長らく放置していたプレイレポート用ブログ、10年と1ヶ月ぶり(‼)に再開いたしました。…って、10年。もう何だよ10年て。

もちろんその間、ゲームから離れていたわけではないのですが、忙しかったり日本にいなかったりその他諸々で、手が止まっていたのです。

キャンペーンを再開したのは(ぎりぎり)昨年(あと3日このエントリ書くのが遅かったら”一昨年”だよ‼)の夏の終わり。
版も変わったことだし、オンラインで遊ぶ環境もかなりグレードアップしたし…ということで、久しぶり(13年前だから、まあ、その、確かに久しいではある)に和物キャンペーンを、今度はD&D5版、そしてオンラインで遊ぼう…ということになりました。

最初はレポート書こうとすると構えすぎて負担になるから書かない、とか言っていたのですが…プレイ中のあれこれが面白すぎてカッコよすぎて、そのまま薄れさせていくには惜しくなってしまって。

「書けたら、書く」

とだけ言って、ざらざら書きのメモだけ取って…結局書けないままキャンペーンは大団円を迎え、そしてつい先日の忘年会。

やっぱ面白かったですよねー、とか。
そういえば昔のログとか見ると、なんかもう我ながらたいがいなことやってますよねー、とか。

言っているうちに、やっぱり書きたい、書こう、こうなったら書かなきゃ、となったのでした。

なので、山の暗がり、幽冥の境を、人の似姿にして人ならぬものたちが駆け巡ったキャンペーンの顛末を、これから書いて参ります。ちなみに最初からシーズン1とか書いてるのは、こないだの忘年会で「またやりたいですねー」って盛り上がったから。シーズン2、遊びたいなあ。



まずは、第1話。
第1セッションと第2セッションが、ちょうど話の前後編になりましたので、まとめて”第1話”として取りまとめました。

【鬼の研究】シーズン1:

【序】あるいはキャラクター紹介
1. はぜ火
2. ひゐな
3. 迦楼羅

【第1話】猿の怪
猿と火の神
洞窟を伺うもの
燃える洞窟
街道の猿
火花の名前
檜皮の寒村
仇なる者
岩屋への道にて
造神之方

それにしても、民俗学的に正しい、つまり自我がなく現象としての反応を返す精霊――って、遊んでるときは面白かったんですが、何なら「しまった、うっかり人間みたいな判断とかしてしまった、もっとままならない感じじゃないと!」とかほとんど妄言ほざいてたんですが、いざレポート書く段になってみると、もう書きにくいのなんのって。だいたい名前がないとかナニゴト。自分で自分を殴りたくなったけどそれも面白かったのでまあいいや。

次回予告:

――うらのはたけで ポチがなく
石原和三郎作詞『花咲爺』より


★★★

当ブログの更新は、今後、こちらのnoteで行ないます。






posted by たきのはら at 20:45| Comment(0) | TrackBack(0) | レポート目次(鬼の研究) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【第1話】猿の怪 その9:造神之方

猿どもの洞窟については、内側の有様ははぜ火が、外から見た立て付けはひゐなが、一度見てよく知っている。
なので、まずは手薄だと知れている裏口に回った。いざとなればひゐなが野ネズミにでも変化して様子を伺うこころづもりだったが、そうするまでもない。殺気の気配もなく静まり返った岩屋の外には、見張りのつもりか、錆びついた刃物を持った猿が2匹、所在無げに座り込んでいる。斬って通ろうと三鈷剣に手をかけた迦楼羅に、はぜ火が「待て」という。もっと面白いことをしよう。

そうして、狙い澄ました指先から、火花を洞窟の中に弾き飛ばした。
光の粒が暗闇に消え、刹那、轟音と共に、爆炎と煙が噴き上げた。もちろん見張りの猿は一瞬にして影も形もなくなった。

「裏口あたりは確か、燃える粉の庫(くら)になっていたはずだからな。ああ、よく燃えるなぁ…」

満足そうに目を細めた瞬間、はぜ火は背後に吹き飛んでいた。洞窟からなにか黒い塊が飛び出してきてはぜ火を襲ったのだ。猿の大将だった。続いてわらわらと取り巻きの猿どもが、これは迦楼羅とひゐなのほうに。けだものは火を恐れる。火を噴くはぜ火は恐ろしすぎるとしても、刀しか持たぬもの、ましてやほぼ丸腰の小娘などならば、瞬時に引き裂いて捨ててくれよう。

が、その目論見は外れた。
迦楼羅は抜き放った三鈷剣を胸元に引き寄せて不動の構え、柄を握る右手(めて)に左手(ゆんで)を添えて印を結ぶ。襲い来る猿の群れを睨む。剣が振るわれぬと見て殺到した猿どもの耳を撃つのは明王の真言。

――不動明王 火炎呪!

鎧の胸にに刻まれた梵字が燃え上がり、両の手で結んだ印から炎が迸る。猿どもにもはや逃げ場はない。

手下が焼かれ、大将猿は牙を剥き、喉も破れよとばかり叫んだ。大猿の鉤爪が、はぜ火の鎧とも身体ともつかぬ継ぎ接ぎの境目を穿ち、ばりばりと引きはがし、ちぎり飛ばす。だが、次に吹き飛んだのは大将猿である。引き裂かれてばっくりと口を開けるはぜ火の腹の孔から、炎の奔流が噴き出したのだ。火だるまになりながらも大猿は腕を振り上げ、咆えた。それを圧するように、渦巻く炎の轟音と共にはぜ火の哄笑が響く。

「おお、思い出したぞ。目覚めたその瞬間から、おれはお前のその姿が見たかったのだ」
「踊れ踊れ、もっと踊れ、そうだ、今が一番楽しい時間だ‼」

――オ前ハ我ラノ神デハ無カッタノカ、何故、何ノタメニ…‼

畜生の身の悲しさ、燃え狂う炎を消し止める術はなく、大猿の咆哮はやがて苦し紛れの悲鳴となり、何かへの恨み言となり、そして、消えた。

もとより炎を恐れる獣のこと、はぜ火の爆炎にも迦楼羅の業火にも巻き込まれずに済んだ猿どものうち、あるものはさっさと逃げ出し、あるものは岩屋の奥に張り付くようにして息を詰めて事の成り行きを見つめていた。が、大将猿が消し炭のようになって動かなくなると、ぎゃっと叫び、重い刃物や絡みつく邪魔な武具の切れ端を放り捨てちぎり捨て、蜘蛛の子を散らすように一頭残らず逃げ去ったものである。

「追って、燃やすか?」
「いや、もうその必要もあるまい。大将猿が斃れれば、あとは本当にただの猿の群であろう」

大将猿がこと切れると同時に魔の気が薄れてゆくのを、迦楼羅は確かに感じ取っている。であるならば、猿の残党は放っておいてもよかろう。

まず、大将猿の死骸を検(あらた)めた。燻ぶる身体に雑に括りつけられた鎧は少し引くとぼろりと取れたが、そのほかに、破夜丸や太郎丸の首につけられていたのと同じ首輪を、何故かこの大将猿もつけていた。同じつくり、同じ手触り、そして何より同じ桃の紋章がその表に刻まれ、外して裏を見れば”千笹丸”と刻まれていた。大将猿――千笹丸は、生命の象徴たる桃のしるしを負う霊猿であった――はずなのである。

――何故、それが。

千笹丸の今際の叫びと同じ言葉を皆が呟くが、もう、答えるものはない。

仕方ないので、今度は岩屋の中をすっかり検めた。
すると、獣臭が立ち込め、すぐ傍らでは猿の糞が積み上げられ固まっているこの岩屋にはまったく似つかわしくないものが見つかった。螺鈿の細工を施した雅な文箱である。中には巻物が二本。広げてみれば、一本は漢文でことこまかに記された火薬の作り方である。猿どもにこれが読めたのか、それとも何者かが何らかの手段で教え込んだのか。ただ、確かにこの巻物に記されたとおりに、猿どもは木を燃やし、灰と炭を集め、灰を溶いた水と積み上げて固まった糞を混ぜてできた硝石に炭粉を混ぜて「燃える粉」を作り溜めていたようである。

もう一本は、札で封じていたものを破った跡がある。札には《造神之方》と書かれていた。
神を造る方法――首をかしげつつ広げてみれば、黄紙に朱墨でびっしりと文字が書かれている。が、読もうとしても、読めぬ。僧侶としての学をひととおりは修めた迦楼羅にも読めなければ、何か怪しの術を使って読みこなせるかもしれぬはぜ火やひゐなにも全く歯が立たぬのだった。
ただ、巻物の装丁からすれば、これはおそらく海を越えた唐の国で作られたものであろう、と、それだけが迦楼羅にわかることであった。奇怪なるこの文箱と巻物は、まさかそのままにもしておけぬから寺に持ち帰り、役僧に相談してみよう――さすれば何かわかるやもしれぬ。そう、迦楼羅は言った。

それ以上はめぼしいものもなかったので、檜皮の村に引き上げた。
村人たちには、猿の化け物は斃したことを告げ、小猿どもは逃げ散ったが、どうやら首領が死ぬと同時に怪しの術が切れ、ただの猿に戻ったようであるから捨て置いた、用心のためにしばらく村の周囲に篝火でも焚くようにと言い添えた。それを聞くと村長はようやく安堵らしき表情を浮かべ、礼を言った。そして

「本当にありがとうございました。あとは霊犬の仔を、もとの花咲村まで返してきては下さいませぬでしょうか。それと、正太郎でございますが…」
「この村にいても、もはや身寄りがないのであろう。正太郎坊さえよければ、拙僧の寺にて引き取りたい」

言いかけたのを皆まで聞かず、迦楼羅はそう言った。慇懃に頭を下げているが、厄介払いをしたいのであろう。衆生とはそのようなものだ、責めても仕方あるまい。

迦楼羅の答えを聞くと、村長は今度こそ本当に安堵の表情を浮かべ、これはお寺への御礼と、そして余分は正太郎坊のために、と、小判30枚を包んで差し出したものであった。



花咲村までの道中も安穏とは言い難い。迦楼羅と正太郎と太郎丸だけというのも不用心だし、何かあったと後から知れたら寝覚めが悪いというので、はぜ火とひゐなも同道を申し出た。
そうして次の日の朝まだき、どうにもちぐはぐな一行は檜皮の村を後にしたのであった。

《鬼の研究》第2回 2022, 09, 20 プレイ記録

posted by たきのはら at 18:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 鬼の研究_Season1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年12月28日

【第1話】猿の怪 その8:岩屋への道にて


そういうことになった上からは、このまま村で構えているよりは、こちらから猿どもの棲処に乗り込んでゆこうということになった。とはいえ、夜に山の中に踏み込むのはあまりにも危うく、また、攻め寄せていったのがすっかり片づけられたとあっては、いかに怪猿といえども今晩は攻めては来るまい。というわけで、その夜はよく眠り、日の出とともに身支度を整えた。

ひゐなは霊犬の忘れ形見の白いふくふくとした仔犬に「昨日、日暮れの街道で何があったのか」と尋ねたが(実際、草木(そうもく)の精であるひゐなは、思いを凝らせば禽獣の言葉もいくぶん解することができるのであった)、仔犬は胸を張って「おとうちゃんがね、危ないからお前は猿どもに見つからないように隠れていなさいって言ったから、おいら丸くなって隠れてて、だから何も見てない!」と答えたものであった。仕方あるまい、おそらくこの仔は、父犬に万が一のことがあったときに、その力を引き継ぐために連れてこられたものであろう。霊犬の力を絶やさぬためには、生き残ることが第一の務め、おそらくそういうことである。

「では、お前は何ができるの?」

ひゐなが問うと、また仔犬は胸を張り、

「おいら仔供だから、 “おううのせんし”みたいなことはできないけど、吠えて皆を元気にすることはできるよ! 今はまだそれだけだけど、そのうちもっと色々できるようになるって、おとうちゃんが言ってたよ!」

と答えた。 “おおうのせんし”が何者かはついに知れなかったが、戦場にあるものを励まし力づけることが、この犬に宿る霊力なのであろう。霊犬の力の一端はたしかにこの仔犬に宿り、そしてこの仔の成長と共に愈々(いよいよ)あらたかとなってゆくものらしかった。

――そんなわけだからね、猿どもと事を構えられるのは、あたしたち三人だけじゃないよ。太郎丸も助太刀してくれる

太郎丸の勢いに乗せられたのか、ひゐなも何故か得意顔でそう言った。

太郎丸というのがその仔犬の名前で、それは仔犬の首輪の裏にも刻んであるのだそうである。確かによく見れば、ふくふくの毛に埋もれるように、仔犬にも父犬同様、銀色に光る首輪がはめられており、そしてそこにも桃の紋章が刻まれていたのだった。

そんなことを言い交わしながら森を行くうちに、急に森が開けた。焼け野原になっていたのだ。奇妙なにおいが立ち込め、そして木々の燃えた灰をかき集めたあとがあった。

――最近、猿どもがあちこちでこんなことをしているのだ

と、ひゐなは言った。猿どもがこんなことをする、その理由はわからないけれど。

「それは、硝石を作ろうとしているのではないか」

突然、はぜ火がそう言った。

「燃える粉で森を焼き、灰をつくり、その灰で硝石を作り、その硝石で新たに燃える粉を作る。何故そんなことがわかるか、だと。その燃える粉はおれにごく近しいものだからだ。燃える粉とその作り方についてならば、おれは自分の身体のことのようにそれがわかる。だが、なぜ猿どもがそんなことをするのかはわからん」

結局わからぬのでは仕方がない、とにかく猿どものねぐらに急ごうということになった。
posted by たきのはら at 23:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 鬼の研究_Season1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【第1話】猿の怪 その7: 仇なる者

「あの、お坊様」

おずおずとした声に、迦楼羅は我に返り、桃の紋章から指を離した。
怪猿との一戦で斃れたものたちを葬り弔う迦楼羅を取り巻くように、いつの間にか村人たちが集まっている。

「あの猿どもはこれですっかり退治られたのでございましょうか」

いや、と、迦楼羅は眉を顰める。忍慶殿と、あの白い犬の仇は残らず取ったが、まだ油断はできぬ。村を荒らす猿どもがあれですべてかどうかは分からぬ。

――それではどうか、その猿どもをすっかり退治てくださいませぬでしょうか

震え声で、しかしきっぱりと、そう村長は言ったものである。

村の難儀と引き換えに猿どもに引き渡したはずの正太郎は、助けられて連れ帰られてしまった。街道まで押し寄せてきたひと群れは退治られたというが、それでも老僧と、そしてわざわざ山向うの花咲村から借りてきた霊犬は、猿どもの手にかかってしまった。これはなんとしても若くて強そうなこの坊様に、すっかりあの怪猿をかたづけてもらわねば、怒り狂った生き残りの猿どもが、村にどれだけの恐ろしいことをするか知れたものではないではないか。

村長の言葉にどれだけのものが込められているかは、もちろん迦楼羅は手に取るようにわかっている。しかし――

――我が身ひとつ、そして"ゴハン! としか言わない“仔犬だけが頼みでは、なぁ…

勝ち目は薄い、だからといって、不動明王の真言を負う護法の身である。怖気づくわけにはゆかぬ。えい、ままよ。

迦楼羅は、街道で出会った奇妙な一行を見やった。

「拙僧はこれよりあの猿の経立を残らず退治ねばならぬ。何かの縁じゃ。そなたら、もう一度、手を貸してはくれぬか」
「おお、そうしたらまた猿どもを焼いていいのだな! もちろん手を貸すとも」

すぐに応じたのは、鎧傀儡のはぜ火である。応じた理由は少々気にかかったが、この際、悠長なことは言っておられぬ。そもそも、はぜ火はひとの理(ことわり)の外にいるものであろうから、そのあたりについては後でゆっくり説けばよい。また、状況を知った今となっては、正太郎をこのまま村に帰すのもはばかられる。「命にかかわるような目にはあわせぬ。正太郎坊、そなたも我らと共に居るがよい」と迦楼羅が言うと、正太郎は小さく頷いた。

残るは奇妙な童女である。妖しの術の使い手で、ともに来てくれれば頼りになることは既にわかっている。

「そして、そなたは――」
「いいよ。あたしもあの猿どもには因縁がある」

皆まで言わせず、童女も答えた。こんな童女があんな猿どもになんの因縁――とは思ったが、連れは多い方がありがたい。では、と言いかけて、思い出した。童女の名を、迦楼羅はまだきいておらぬ。

「娘ご、そなた、名はなんという。こうして連れとなる上は、いつまでも娘ごと呼んでいるわけにもゆかぬでな」

童女はあどけない顔で迦楼羅を見上げ、こともなげに言った。

「知らない。ときどきは“小さきもの”と呼ばれたりするよ」
「待て、それは“名前“ではないだろう」

言葉に詰まった迦楼羅の代わりに、呆れたような声を上げたのは、意外にもはぜ火である。

「名前とは、おれがおれであるとわかるものだ。“小さきもの”じゃあ、あんたがあんただとわからない」

――じゃあ、ひゐな

虚を突かれたふうに黙り込み、しばし考え込み、ややあって、童女は言った。

「ひゐな、ということにするよ。佳い名でしょ」

それでようやく、そういうことになった。
posted by たきのはら at 23:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 鬼の研究_Season1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年12月25日

【第1話】猿の怪 その6: 檜皮の寒村

日はとうに山の端に隠れている。どうやら物のかたちがわかるうちに、一行は村の入り口とわかる道切りの注連(しめ)が渡されたところまでたどり着いたのだった。
注連縄に編みこまれた紙垂(しで)が白く垂れ下がり、村境の門柱には黒々と陰になって魔除けの大草鞋(わらじ)の形が沈み、この先は間違いなく人の住む場所であると示している。

――どうやら無事たどり着いた

迦楼羅の声には安堵の色がにじんでいたが、そのすぐ後ろの正太郎の表情は反対に、ますます硬く険しいものになっている。

「村の衆、護法の僧じゃ。今、戻った!」

呼ばわった迦楼羅の大声に飛び出してきた村人たちは、しかし

「帰ってきたぜー‼」

その後ろから半ば自棄のように張り上げた正太郎の大声を耳にしたとたん、声にならない悲鳴をあげて立ち尽くした。

道切りの注連縄と魔よけの大草鞋こそ一人前だが、檜皮の村はこうしてみれば、見事に寄る辺ない寒村である。迫る森の中を抜ける頼りない道の果てに、粗末な家が十軒あまり、森を切り開いてこしらえたのであろう畑の中に点在しているばかり。その畑もところどころ荒らされ、軒を欠かれた家もいくつか。

「正太郎、お、おめぇ、何もなかっただか……?」

村長が思い切ったように一歩前に進み出て正太郎に声をかけた。

「あァ、戻ってきたぜ」

ふてくされたように答える正太郎。
そしてせっかく村の子どもが生きて戻ってきたというのに、村長はがっくりと肩を落とし、深くため息をついたのだった。
 
 「正太郎坊が無事戻ったのは喜ばしいことではないか、ところで頼みがあるのだが」

 重苦しい空気を破ったのは、忍慶の亡骸を背負ったままの迦楼羅である。
 
 ――忍慶師を待ちながらしばらくこの村で過ごしたと思ったが――村の衆にしてみれば仕方なかったろうこととはいえ、拙僧に気づかれぬようにあれこれと褒められはせぬことを為しておったのだな……

 おおかた、奇怪な猿に恐れをなし、村のみなしごを生贄に差し出して害を逃れようとしたものだろう。退魔の行を重ねていれば、このような有様に行き合うのも珍しくはないのである。

 「村を囲む猿の声に構えて出てみれば、ひと足遅く、忍慶どのはこのようなお姿に。だが仇の猿どもはこちらにおられる方々の助太刀を得て打ち倒した。まずは忍慶どのを御堂の裏手にでも葬り、弔い申し上げたいのだが」

 おお、それは大変なこと、どうぞ御堂をお使い下さって忍慶さまをお弔い申し上げてくださいませ、と村長は何かほっとしたような声で言い、一行を村はずれの堂に案内するとそそくさと立ち去ったのだった。

 というわけでまずは忍慶の亡骸を葬り、次いで借りてきたという霊犬も葬った。借りたものが既に返せないのは何とも気まずかったが、猿の怪と闘って斃れたのでは仕方あるまい。せめて何か返せるものがないか、ということで、葬る前に首輪を外した。首輪につけた札には墨黒々と「破夜丸」とあるのは、いかにも霊犬の名であった。首輪もさぞかし由緒あるものであろうと思われたが、そちらには借りてきた村の名も、霊犬を預かっていたであろう家の名もなく、ただ桃をかたどった紋章がひとつきり。

 ――はて、これは……

 その紋章に何か見覚えがあるような気がして、迦楼羅はその線を指でなぞった。
 と。
 
 唐突に、脳裏に昏い光景が沸きあがる。

 闇に閉ざされたきつい坂道を、はるか彼方にかすかにちらつく明かりを頼りに駆け上る。背後から恐ろしいうなり声がいくつも追ってくる。ここは、常夜(トコヨ)と現世(ウツセ)を繋ぐ坂である。追ってくるのは常夜の悪鬼ども、死せる妻の腐れた身体から沸いた雷神どもである。そうだ。おれは死んだ妻がなつかしくてたまらず、彼女に会いにここに来たのだ。帳の陰から愛しい愛しい声がしたのだ。どうして今までいらっしゃらなかったのですか、私はすっかりこの地に馴染んでしまいました。でもせめてひと目お会いしたい。身づくろいをする間、そのままお待ちください。確かに妻の声だった。身づくろいなど他人がましい。待つはずがあるものか。おれは帳を引き開けた。そして腐れふくれて横たわる妻の躯を目にしたのだ。あまりに急なことだったから、おれは思わず恐れて叫んでしまった。飛び退り、逃げ出してしまった。後ろから妻の声が追ってきた。憎らしい人、お待ちくださいといったのに、どうして帳を開けたのですか。どうして見たのですか。見ておいてどうして逃げたのですか。声と共に足音が、うめき声が、がちがちと牙を鳴らす音が、追ってくる。それが妻の身体から這い出してきたものだと、なぜかおれにはわかる。

 歯を、食いしばる。
 それ以上を”思い出す”前に、どうにか破魔の真言を喉の奥で呻き、迦楼羅はようやく息を吐いた。

 ――そうだ、桃、だ。

 あのあと、死せる妻との約束をたがえた男は、どうやら命拾いをする。常夜と現世との境目に生えた桃の木にたどりつき、たわわに実った実をもいで悪鬼の軍勢に投げつけるのだ。唐天竺の説話にも、桃は生命の凝ったものとして現れる。死の軍勢と言えども生命の精髄を礫のごとく投げつけられてはひとたまりもない。たたらを踏む鬼どもを前に、男は渾身の力を振り絞り、大岩を転がし落として、常夜へ下る坂へと続く洞穴の入り口を塞ぐのだ。
 そう、そしてそれ以来、桃は「この世の生きとし生けるもの」への加護の証となったのだ。

 もう一度、迦楼羅は紋章を指でなぞった。
 再度、幻視が目の前に広がる。
 
 だが、この時見えたのは、つい先ほどとは全く異なった光景であった。
 手に手に桃の意匠の宝具を携える、神仏の加護を受けたもののふたちの姿。
 迦楼羅の属する護法宗にも所縁ある、鬼を、魔を、退治ることに身命を懸けるもののふたち――彼らはみな「太郎」と呼ばれている……
posted by たきのはら at 09:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 鬼の研究_Season1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【第1話】猿の怪 その5: 火花の名前

 奇妙な一行が黄昏の山道を急ぐ。
 長身にして白皙、雲水姿の男は、同じく墨染の衣に身を包んだ骸を背負っている。これを先頭に、顔や手足のあちこちに煤とも泥ともつかない汚れをこびりつかせた少年。その足元を、真っ白な毛並みのふくふくと丸い仔犬がまつわりつくようについてゆく。その脇を、ちぎれた鎧と蓑を綴りあわせて傀儡に仕立てたようにも見える風体の――しかし、操るものの姿もなく自ら歩いているのだから、からくりではなく、少なくとも“そういうモノ”なのであろう――何者か。これは血まみれの白い大犬のぐったりと動かなくなったものを肩に担いでいる。街道をゆくうちに難に遭った者たちであろうと一目でわかる血生臭さである。だというのにしんがりは何故か、歳のころ五つ六つばかりに見える童女である。男たちに遅れもせず、すたすたと歩いてゆく。

 「ところで、今さらもう一度、尋ねるのだが」

 雲水姿の男――迦楼羅は唐突に、後ろに続く一行を振り向いた。

 「まずは人里を目指すのがよかろうから、拙僧が世話になっている檜皮の村に向かっているのだが――それで構わぬな?」
 「おいらはもともと檜皮村のもんだよ」

 少年が答える。

 「ならばよかった」
 「あんまりよくねえ」
 「――それは、いったい……」
 「着きゃあ、わかるよ。とにかくおいらは檜皮村に帰るんでかまわねえよ」

 ぶっきら棒に答える少年を気づかわしげに見遣り――しかしそれ以上このやりとりを続けても仕方ないと悟ったのか、迦楼羅は小さくため息をつき

 「そなた、名はなんという」

 とだけ問うた。

 「正太郎」

 まつわりつく仔犬を抱き上げながら少年は答える。

 「そうか、では――」

 そこまで言って、迦楼羅は口ごもった。目は正太郎の後ろにいる、鎧とも傀儡ともつかぬ何者かを見ている。このものには何といって名を問うのがよいのだろう。

 「あんた、名前は?」

 迦楼羅の逡巡を知ってか知らずか、正太郎少年は鎧傀儡の蓑を掴んで軽く引いた。助けてもらったからか、なんとなく懐いてもいいように思っているらしい。

 「名前? 名前とは何だ?」

 ――ああ、だから問いたくなかったのだ。やはりこの世の理(ことわり)の外のものではないか。

 内心で頭を抱える迦楼羅に

 「火だよ」

 こともなげに応えたのはしんがりの童女のよく響く声である。

 「あたしもお山の者だから、そういうものはすぐにわかる。これは、火だよ。燃える火、山火事の火――ああ、でもちょっと違う、燃えたい火だ。でも、火には違いない」
 「火……か」

 そうなのだろうな、と、ため息とも納得の吐息ともつかぬ言葉を、迦楼羅は声にせずに吐いた。火、山火事に似ているがそうではない、燃えたいという意志をもった火。不思議な物言いだが、そう言われれば得心が行くようにも思える。

 「火……そうか、おれは、火、なのか」

 鎧傀儡は己の掌、指、そして身体全体を矯めつ眇めつしながらつぶやいている。

 「だが、それではいかにも呼びにくい」

 答えのような、そうでないような言葉を迦楼羅は口にした。

 「おぬしは確かに火かもしれぬ。だが、名前というのはおぬしが何であるかをいうだけのものではない。おぬしがほかの者ではなく、おぬしであるということを示すものだ……だから」

 言いかけた時、鎧傀儡のふわりと窪めた掌のなかで、乾いた音を立てて火花が爆ぜた。

 「ほかの火でなく、おれであること――おれの火は、これ、だ、が……」
 「爆ぜる火、か」
 「うむ。そうだ。これが、おれの火だ。だから、おれは、はぜ火だ」

 そう言いきって、そして鎧傀儡は迦楼羅を凝(じ)っと見た。

 「これで、よいか?」
 「はぜ火か。よい名だ。名乗り遅れた。拙僧は迦楼羅という」

 次に童女の名を問おうとしたとき、正太郎が突然硬い声で言った。

 「着いた。檜皮村だ」

posted by たきのはら at 08:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 鬼の研究_Season1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【第1話】猿の怪 その4: 街道の猿

日が傾きかけている。山あいを抜ける街道を、迦楼羅は走る。気ばかりが焦る。

世話係の老婆の、五年前に物故したという連れ合いのために経をあげるなどしてやってようやく打ち解けたのが今日のことである。
そうして、最近は猿どもが街道の旅人を襲うだの、村の畑の作物を荒らすばかりか家の中まで入り込んできては狼藉をはたらくだの、ひっかいたり噛みついたりの他に、あろうことか猿のくせに刃物まで持って切りかかってくるので恐ろしくて仕方がないだのといった恐ろしげな訴えを聞いていたところで、突然山のほうから猿の声、そして犬のただならぬ吠え声が響いてきたのである。

もちろんおっとり刀で飛び出した。が、今はあたりは嘘のように静まり返っている。

道の先に誰かが倒れている。見覚えのある墨染の旅装。まさか、いや、やはり。

「忍慶どの!」

迦楼羅は思わず声を上げた。答えるように周囲の木の梢がざわつく。風か、いや。

猿の群れだった。
なりが大きいものばかりではない。とはいえ、小刀や槍の穂先を器用に構え、中にはちぎれた鎧の残骸らしきものを身体に括り付けたものもいる。退治るべき猿の化け物とは、こいつらか。そう思った時には右手に剣を構え、左手は印を結んでいる。道を塞ぐように飛び降りてくる猿が数体、残りは……街道沿いの木立の暗がりからこちらを睨め付ける、無数の目。これだけ数がいたのでは、確かに霊犬の助けを借りずばなるまい。先ほどの犬の声が、あれが霊犬か――いや、まずはこの場を凌がねば……

息詰まる睨み合いを破ったのは猿の方である。間合いに飛び込んで来た毛むくじゃらの塊を迦楼羅は咄嗟に切り払い、次の相手に備えた瞬間。

飛び込んでこようとした猿が、空中で炎に包まれた。なにごと、と、周囲に視線を走らせる。奇妙な三人連れが見える。鎧武者――いや、鎧傀鎧とでも呼ぶべきか、ちぎれた鎧を継ぎ合わせ、蓑笠をまとったなんとも得体の知れぬ人影、年の頃は十ばかりかと見える少年、そして少年よりもさらに幼い童女。山の方からやってきたらしい。鎧傀儡が胸元に手を構えてひとことふたこと叫ぶと、その胸元ががばりと開き、そこから奔流のごとく炎が迸って猿を焼く。そして童女は器用に鞭を操り、小さな身体にも似つかわしくなく、猿を絡め取っては引き摺り回す。

ーーなんとも素性の見当のつかぬ連中だが、加勢してくれるならありがたい。

心の中で独りごちた瞬間、迦楼羅の背筋を冷たいものが走った。
街道を押し包む宵闇の気が、さらに濃くなる。枯れ木は細長く奇怪に伸びた骸骨のように、木の葉に映えていたはずの日の名残りがちらちらと燃える鬼火のように見える。さきほどまで山の端にかかっていたはずの夕陽が、落ちるというよりはかき消え、冷たく湿った夜気が急に皮膚を噛む。これは――なんというべきか――おそらくは、そうだ、これは、常夜(とこよ)の国の気だ。この場所だけが切り抜かれたように、常夜の国に成り代わっている。猿どもの眼が魔性の光を帯びて、真っ赤に熾った炭のように燃える。

「坊、気をつけて。いま、ここは、生きている者の住む場所じゃない」
童女が少年に低く叫ぶ。
「あたしの後ろにおいで」

ーー常夜の幽冥の気配が判る連中か。ならば頼みにもしてよかろうか

そう思った迦楼羅の内心に応えるように、鎧傀儡の突き出した手が蒼く光る。そこから放たれたのは爆炎か雷撃か。ひときわ身体の大きな猿がもんどりうって跳ね飛ばされる。

そうしてわたりあうこと数撃、迦楼羅の三鈷剣が最後の猿を叩き斬る。常夜の国の気は既に消え失せていたが、血の臭いも生々しい街道に、いつしか今度こそ本物の宵闇が忍び寄っている。

猿どもの骸の向こうに倒れていた人影は、やはり忍慶であった。酷い傷を負い、既にこときれている。その傍らには真っ白な毛皮を血に染めた犬が、これも戦い抜いて及ばなかったものであろう、喉笛を掻き切られて息絶えている。

「霊犬の助けも虚しかったか……」

迦楼羅が深い溜息をついたとき、忍慶の身体の下から白い塊がまろびだして来た。
ふくふくとよく肥えた、この惨状にはいかにも場違いなほど愛らしい仔犬である。忍慶の傍に斃れている白犬とそっくりなところをみると、親子だろうか。

「生き残ったのはお前だけか……」

もうひとつ溜息。だが、こうしては居られぬ。日が暮れれば山道は魔界の色を帯びる。

「どなたかは存じ上げぬが、此度(こたび)は危ないところへの加勢、感謝する。拙僧はこの先の檜皮の村へ向かうところであった。もう日も暮れる。差し支えなければ拙僧の連れとなって……」

言いかけて、口ごもる。
目の前で、童女が仔犬を抱えて覗き込むようにし、「ねえ、おしえてくれない? さっきここでなにがおきたの?」と一心に問いかけている。仔犬は童女をじっと見つめて、わん、と一声吠えた。ゴハン! と叫んだようにも聞こえたのは気のせいか。
どうしたものか、と、迦楼羅が次の言葉を言いあぐねていると、
「坊様と一緒に行くよ」
童女が急に顔を上げ、今度ははっきりと迦楼羅に向かって言った。
「何があったかこの子にきいてみたんだけど、“ゴハン!”としか言わない。仔犬だから、お腹すいたらもうしょうがないよね。明日になったら、あたし、ちゃんとしたこと訊けるから」

ーー幼き娘ごに見えるが、何らかのわざの使い手なのであろうな。それとも化生のものだろうか――だが、物言いが幼子とかわりないのは、はて、どうしたものか……

迦楼羅は何度目かの溜息をつき、鎧傀儡に向き直った。
「いかがかな、そなたも共に」
「一緒に行ったら、踊らせる相手がいなくなりはしないか」
一層不可解な返事に、思わず返す言葉に詰まると、
「心配するこたぁねえよ、あの猿どものほうから村に来らぁ」
少年がそんなことを言い、ならば一緒に行こう、と鎧傀儡は頷いた。

戦いの時は心強い加勢と思えたが、と、迦楼羅は首を捻りつつ、しかし暮れてゆく山道にいつまでもこうしているわけにも行かぬ。忍慶の亡骸を迦楼羅が背負い、白犬の骸は鎧傀儡が担いで、一行は迦楼羅の導くまま、檜皮村に向かうのだった。

《鬼の研究》第1回 2022, 09, 02 プレイ記録


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【第1話】猿の怪 その3: 燃える洞窟

猿、炎、悲鳴、哄笑、黒煙、混沌。

洞窟に入り込んだ野ネズミの目に映ったのは、毛皮に火が着き狂ったように跳ね回る猿ども、そしてその中央に突っ立ち、時折りその胸をがばりと開いて焔を噴き出しながら嬉しげに呵々大笑するーーなんと言えばいいのだろう。つぎはぎだらけの鎧の上にさらに蓑笠をまとい、火を吹く杖を打ち振る……つぎはぎ鎧の傀儡といえば一番近いのだろうか。

どちらもお山に居ていいものじゃない、相討ちになればいいのに、と、野ネズミが踵を返しかけたとき、助けを求めるのと悪態を半々に吐き散らす子どもの声が上がった。

そう、子どもだ。鎧傀儡の足元に転がっている。どうやらこの傀儡は子どもを護って猿どもに火を放っているように見えた。ならば話は別だ。世の中には色んな見てくれのモノが在る。

野ネズミはちょろりと子どもの傍に走り寄った。傷だらけの手足を縛り上げている藤蔓を噛み切る。緩んだ藤蔓を子どもは勢いよく蹴飛ばし、逃げ出そうとしてたたらを踏む。

周囲にいるのはごうごうと火を噴く鎧と、火がついて転がり回る猿と、歯を剥き出して襲いかかってくる猿だ。火は向こうから避けてはくれぬから、襲ってくる猿をどうにかするしかない。

野ネズミが童女に姿を変え、叫んだ。

「坊、こっちにおいで!」

返事は悲鳴である。あたりまえだ。混乱の中で突然小娘が現れたようにしか見えない。

ーーええい、退け、退けい‼︎

大将猿の口から猿語の下知が飛ぶ。火炎から逃げたくてたまらなかった小猿どもは、途端に一斉に逃げ散った。

「なんだ、燃やすものが減ってしまったではないか!」

鎧傀儡が残念そうに叫ぶ。やぶれかぶれの大将猿が鎧傀儡に飛び掛かる。

童女は咄嗟に足下に落ちていた藤蔓を掴み、振るった。小さな手に握られた藤蔓の表面はその瞬間、鋭い棘にびっしり覆われている。自然(じねん)の精として年経たものは、自然のありようを操るわざをおのずと身につけるのである。

思わぬところから棘だらけの蔓に打たれ、大将猿はぎゃっと叫んで飛び退いた。

ーー邪魔が入ったか! ものども、かかれ、かかれぃ!

誰も来ない。
そこでようやく、先ほど撤退の下知を飛ばしてしまっていたことを思い出した大将猿は、今度こそ赤い顔が真っ青にならんばかりの慌てようで飛び上がると、火の粉でくすぶる毛皮をはたきながらどたばたと逃げ出した。

「おおい、待てい、まだ踊ってくれるんじゃなかったのか」

逃げてゆく大将猿の背後から、のんびりと物騒なことをよびかける鎧傀儡ーーいや。

童女は微かに首をかしげた。傀儡ではないーーこの“モノ”の実態は傀儡の中に宿る、火だ。鎧の傀儡の中に火が燃えている。山の火の精なのかーーいや、違う。この火は自ずから生まれるものとは異なる、“つくられたもの”のにおいがする。だが火は火に違いはなさそうだ。それならさぞ燃えたかろうし燃やしたかろう。腑に落ちると童女は小さく笑った。なんて運のいい。小鳥や栗鼠たちを困らせる猿どもの群のねぐらも知れたし、それを懲らしめる手立てにも巡り逢えた。

「兄さん、あの毛玉たちをまだ燃やしたいのでしょーー案内するよ」

唐突に声をかける。おや、とでもいうように、火の鎧の“目”が童女の上に止まる。

「坊、あんたもここから出たいよね、行こう」

それだけ言うと童女はすたすたと歩き出す。目指すは先ほど“野ネズミ”の目の前で洞窟の中から飛び出していった群の向かった方角。
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【第1話】猿の怪 その2: 洞窟を伺うもの

山深い場所にある自然洞窟の多くは、獣たちの隠れ家になっている。小さな野ネズミがいっしんに覗きこんでいるそれも、そのひとつなのであろう。獣臭が漂い、そして耳を澄ませばキィキィと甲高い声が幾重にも重なるのも聞き取れる。

猿だ。
声が大きくなったかと思うと、ひと群の猿が洞窟から飛び出してきた。だがその姿は常の山猿ではない。ちぎれた鎧具足をてんでに身体にゆわえつけ、錆びた刃を構えたり口に咥えたり、そして身ごなしだけは間違いなく猿の一団はあっという間に木に駆け登り、そして梢から梢へ飛び移るようにして何処かへ消えていく。

「あいつら、もう山のものじゃなくなったね」

野ネズミが呟く。

「山のものがしちゃいけない悪さをしすぎた。もう、いけない」

”野ネズミ”はもちろん変化(へんげ)のものである。木の股に生じ、滝の如くなだれ落ちて咲く蘭の精が姿を変じたものである。石斛(せっこく)と呼ばれるその蘭は、医神・少彦名命(スクナヒコナノミコト)の眷属とされ、その精は癒しのわざをよく為すのだった。

ところで、このところ、野焼き山焼きの季節でもないというのに、大火傷を負い、癒しのわざをたよって身を寄せてくる小鳥や栗鼠、鼠たちがことのほか増えた。そして皆が口を揃えて、最近猿どもが妙な知恵をつけ、強い火でもって山火事を起こしてまわっているという。

そこで様子を見に来たら、山のあちこちに奇妙な大火の痕があった。やたらときれいさっぱりと燃え尽きた、奇妙な臭いのする焼け跡、灰を集めた跡。つい最近燃えたばかりらしき場所から続く足跡を辿ってきてみれば、案の定、これだ。

もう一度耳を澄ませた。洞窟の中の猿の声は、聞こえるような聞こえないような、聞こえるとしても、減ったような。

ーー見なきゃ、わからないじゃない。

声に出してつぶやいたかどうか。野ネズミはちょろりと洞窟に。
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【第1話】猿の怪 その1: 猿と火の神

――信州信濃の光前寺 しっぺい太郎に知らせるな
静岡県見付天神に伝わる説話



声がする。
ささやく声がする。
繰り返し、繰り返し、寄せては返す波のように。

――起きなよ
――もう、いい頃合いだよ

そして“それ”はゆるりと目を開けた。

そこが洞穴の中で、そして周囲でキィキィと声をあげたり自分を崇めるようにひれ伏したりしているのは猿どもの群であると“それ”はなぜか瞬時に理解した。

確かに猿の群ではあるが、いかにも奇妙な一団であった。群の首魁ーーというよりは大将といったほうが相応しい大猿は、小札を連ねた鎧のぼろぼろになったものを身体にくくりつけ、腰に荒縄を巻いて太刀を佩いている。もう一体、これまたひときわ身体の大きな猿はひび割れた胴丸鎧を着込み、山刀を背負っている。居並ぶ小猿どもも、きゃあきゃあと声をあげながら、半数ほどは錆びた小刀だの槍の穂先だのを携えている。

枯れ枝がひと山運ばれてくる。猿どもが期待と畏れに満ちた目で凝視してくる。いったい何を――いや――

身体の中で何かが形を成す。熱い。これは――

――やってみなよ
――できるよ

また、目覚めを促したのと同じ声がささやく。導かれるまま、”それ”は身じろぎした。
鎧の残骸を接ぎ合せたような”身体”から、ぼろきれと金属片で細長く形作ったもの――腕――が延びる。指が延びる。その先端めがけて身体の奥から熱い塊が奔(はし)ったかと思うと、指先から炎が噴出する。

ごう、と燃え上がる炎に“それ”は目を細める。そして、燃える炎に向かって伸ばされている自分の指を、腕を、それがついている”胴体”を、その下にある”脚”を、つくづくと眺める。いずれも金属片――ちぎれた鎧とぼろきれをつぎはぎしたものがまといついている。そして、思いのままに動く。そうか、これはおれか。これもおれなのか。

炎に怯える小猿どもをよそに、なんだか嬉しくなって”それ”がくすくすと笑い声をあげたとき…

「われラノてニなリシ、あらタナルかみヨ、コノくもつヲうケ、われラヲまもリ、われラニちからヲあたエたまエ…!」

大将猿が大音声で呼ばわる。応えるように”それ”は、今度はもう一方の、杖を携えた手を掲げる。無造作にも見える動作で構えた杖から破裂音。と同時に、今度は指先からではなく杖の先端から何かが飛び出し、枝の山を弾き飛ばした瞬間、新たな火が燃え上がる。どうやら杖と見えたのは、石火矢、とでも呼べばよいような物騒なからくりであるらしい。

”それ”は心地よさげに唸る。
次々と足元に積み上げられる枯れ枝の山を、燃やせば燃やすほど力が漲ってくる…

大将猿が傍らの、山刀の猿に合図をすると、続いて運ばれてきたのは、何やらのっぺりとした塊だった。縛り上げられているというのに、そいつは放り出された平台の上でもんどり打って跳ねた。
「このやろう、放しやがれ、縄、ほどきやがれ、こんちくしょう‼︎」

ーー威勢がいいなぁ。燃やしてやったら、さぞ、よく踊るだろうなぁ

火を放とうとして、だが、ふと掲げた石火矢を下ろす。

目の前の平台にお膳立てされたものばかりを燃やしているのも芸がない。いくら今、よく跳ねて賑やかだとはいえ、燃えやすそうなものがほんの少ししかついていないのっぺりしたシロモノよりは、目の前の毛むくじゃらな猿どものほうが、よく火がついて、跳ねて、踊るだろうなぁ…

不意を討たれ、大将猿は悲鳴をあげた。さっきまで機嫌良さげに供物を焼いていたかれらの神の火が、いきなり自分に襲いかかってきたのだ。

「なにヲ…!」

あとは獣の咆哮が喉を衝いて出た。転げ回って身体についた火を消し止める。

「はなしガちがウゾ‼」

叫ぶ大将猿の視界の端で、せっかく生贄に据えた人間の子どもが、平台から転がり落ちる。いつの間にか縛り上げた藤蔓も切られている。
裏切りだ、騙されたぞ、ものども、とにかく奴を喰い殺せ。あげた雄叫びは猿の金切り声。火に怯えて逃げ散った小猿たちが慌てて駆け戻ってくる。

ーーああ、にぎやかだなぁ、楽しいなぁ、よく踊るなぁ…!

心の底から嬉しくなって、“それ”は高らかに笑い声を上げた。

火だるまになって跳ね回る猿どもの姿の向こうに、”それ”はいつか、もうひとつの情景を見ている。たくさんの“人間”どもが、高々とそびえる壁の上と下で、大小の石火矢を構えて発砲しあっている。上からの一斉射撃で下の連中がばたばたと倒れる。下の軍勢が据え置き型の巨大な石火矢を持ち出してくる。それが火を噴くと、今度は城壁が大きく崩壊し、籠城側の兵士たちが崩れる壁と一緒に落ちてくる…

ごう、と、さらに炎が膨れ上がり、爆ぜた。
posted by たきのはら at 08:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 鬼の研究_Season1 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする