猿どもの洞窟については、内側の有様ははぜ火が、外から見た立て付けはひゐなが、一度見てよく知っている。
なので、まずは手薄だと知れている裏口に回った。いざとなればひゐなが野ネズミにでも変化して様子を伺うこころづもりだったが、そうするまでもない。殺気の気配もなく静まり返った岩屋の外には、見張りのつもりか、錆びついた刃物を持った猿が2匹、所在無げに座り込んでいる。斬って通ろうと三鈷剣に手をかけた迦楼羅に、はぜ火が「待て」という。もっと面白いことをしよう。
そうして、狙い澄ました指先から、火花を洞窟の中に弾き飛ばした。
光の粒が暗闇に消え、刹那、轟音と共に、爆炎と煙が噴き上げた。もちろん見張りの猿は一瞬にして影も形もなくなった。
「裏口あたりは確か、燃える粉の庫(くら)になっていたはずだからな。ああ、よく燃えるなぁ…」
満足そうに目を細めた瞬間、はぜ火は背後に吹き飛んでいた。洞窟からなにか黒い塊が飛び出してきてはぜ火を襲ったのだ。猿の大将だった。続いてわらわらと取り巻きの猿どもが、これは迦楼羅とひゐなのほうに。けだものは火を恐れる。火を噴くはぜ火は恐ろしすぎるとしても、刀しか持たぬもの、ましてやほぼ丸腰の小娘などならば、瞬時に引き裂いて捨ててくれよう。
が、その目論見は外れた。
迦楼羅は抜き放った三鈷剣を胸元に引き寄せて不動の構え、柄を握る右手(めて)に左手(ゆんで)を添えて印を結ぶ。襲い来る猿の群れを睨む。剣が振るわれぬと見て殺到した猿どもの耳を撃つのは明王の真言。
――不動明王 火炎呪!
鎧の胸にに刻まれた梵字が燃え上がり、両の手で結んだ印から炎が迸る。猿どもにもはや逃げ場はない。
手下が焼かれ、大将猿は牙を剥き、喉も破れよとばかり叫んだ。大猿の鉤爪が、はぜ火の鎧とも身体ともつかぬ継ぎ接ぎの境目を穿ち、ばりばりと引きはがし、ちぎり飛ばす。だが、次に吹き飛んだのは大将猿である。引き裂かれてばっくりと口を開けるはぜ火の腹の孔から、炎の奔流が噴き出したのだ。火だるまになりながらも大猿は腕を振り上げ、咆えた。それを圧するように、渦巻く炎の轟音と共にはぜ火の哄笑が響く。
「おお、思い出したぞ。目覚めたその瞬間から、おれはお前のその姿が見たかったのだ」
「踊れ踊れ、もっと踊れ、そうだ、今が一番楽しい時間だ‼」
――オ前ハ我ラノ神デハ無カッタノカ、何故、何ノタメニ…‼
畜生の身の悲しさ、燃え狂う炎を消し止める術はなく、大猿の咆哮はやがて苦し紛れの悲鳴となり、何かへの恨み言となり、そして、消えた。
もとより炎を恐れる獣のこと、はぜ火の爆炎にも迦楼羅の業火にも巻き込まれずに済んだ猿どものうち、あるものはさっさと逃げ出し、あるものは岩屋の奥に張り付くようにして息を詰めて事の成り行きを見つめていた。が、大将猿が消し炭のようになって動かなくなると、ぎゃっと叫び、重い刃物や絡みつく邪魔な武具の切れ端を放り捨てちぎり捨て、蜘蛛の子を散らすように一頭残らず逃げ去ったものである。
「追って、燃やすか?」
「いや、もうその必要もあるまい。大将猿が斃れれば、あとは本当にただの猿の群であろう」
大将猿がこと切れると同時に魔の気が薄れてゆくのを、迦楼羅は確かに感じ取っている。であるならば、猿の残党は放っておいてもよかろう。
まず、大将猿の死骸を検(あらた)めた。燻ぶる身体に雑に括りつけられた鎧は少し引くとぼろりと取れたが、そのほかに、破夜丸や太郎丸の首につけられていたのと同じ首輪を、何故かこの大将猿もつけていた。同じつくり、同じ手触り、そして何より同じ桃の紋章がその表に刻まれ、外して裏を見れば”千笹丸”と刻まれていた。大将猿――千笹丸は、生命の象徴たる桃のしるしを負う霊猿であった――はずなのである。
――何故、それが。
千笹丸の今際の叫びと同じ言葉を皆が呟くが、もう、答えるものはない。
仕方ないので、今度は岩屋の中をすっかり検めた。
すると、獣臭が立ち込め、すぐ傍らでは猿の糞が積み上げられ固まっているこの岩屋にはまったく似つかわしくないものが見つかった。螺鈿の細工を施した雅な文箱である。中には巻物が二本。広げてみれば、一本は漢文でことこまかに記された火薬の作り方である。猿どもにこれが読めたのか、それとも何者かが何らかの手段で教え込んだのか。ただ、確かにこの巻物に記されたとおりに、猿どもは木を燃やし、灰と炭を集め、灰を溶いた水と積み上げて固まった糞を混ぜてできた硝石に炭粉を混ぜて「燃える粉」を作り溜めていたようである。
もう一本は、札で封じていたものを破った跡がある。札には《造神之方》と書かれていた。
神を造る方法――首をかしげつつ広げてみれば、黄紙に朱墨でびっしりと文字が書かれている。が、読もうとしても、読めぬ。僧侶としての学をひととおりは修めた迦楼羅にも読めなければ、何か怪しの術を使って読みこなせるかもしれぬはぜ火やひゐなにも全く歯が立たぬのだった。
ただ、巻物の装丁からすれば、これはおそらく海を越えた唐の国で作られたものであろう、と、それだけが迦楼羅にわかることであった。奇怪なるこの文箱と巻物は、まさかそのままにもしておけぬから寺に持ち帰り、役僧に相談してみよう――さすれば何かわかるやもしれぬ。そう、迦楼羅は言った。
それ以上はめぼしいものもなかったので、檜皮の村に引き上げた。
村人たちには、猿の化け物は斃したことを告げ、小猿どもは逃げ散ったが、どうやら首領が死ぬと同時に怪しの術が切れ、ただの猿に戻ったようであるから捨て置いた、用心のためにしばらく村の周囲に篝火でも焚くようにと言い添えた。それを聞くと村長はようやく安堵らしき表情を浮かべ、礼を言った。そして
「本当にありがとうございました。あとは霊犬の仔を、もとの花咲村まで返してきては下さいませぬでしょうか。それと、正太郎でございますが…」
「この村にいても、もはや身寄りがないのであろう。正太郎坊さえよければ、拙僧の寺にて引き取りたい」
言いかけたのを皆まで聞かず、迦楼羅はそう言った。慇懃に頭を下げているが、厄介払いをしたいのであろう。衆生とはそのようなものだ、責めても仕方あるまい。
迦楼羅の答えを聞くと、村長は今度こそ本当に安堵の表情を浮かべ、これはお寺への御礼と、そして余分は正太郎坊のために、と、小判30枚を包んで差し出したものであった。
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花咲村までの道中も安穏とは言い難い。迦楼羅と正太郎と太郎丸だけというのも不用心だし、何かあったと後から知れたら寝覚めが悪いというので、はぜ火とひゐなも同道を申し出た。
そうして次の日の朝まだき、どうにもちぐはぐな一行は檜皮の村を後にしたのであった。
《鬼の研究》第2回 2022, 09, 20 プレイ記録